ヒロシマからのお土産

混雑を避け、
平和記念式典の翌々日、
広島平和祈念資料館へ。
http://www.pcf.city.hiroshima.jp
まず、驚くのが観覧料金。
大人(大学生以上)50円(30人以上の場合、1人当たり40円)
高校生30円(20人以上の場合、無料)
中学生以下無料
そして、年中無休。
年末年始も、なんと、2日から始まる。
本当に、ヒロシマの「想い」を一心に
背負っている建物なのだということがわかる。
思わず目を背けたくなるような、
写真や遺品を前にして、
「残酷」すぎる、
「過去」と「事実」と、
向き合うことの意味を考える。
70年前にヒロシマで、
起こったことを、
フィクションとして受け止めることが出来たら、
どんなに楽かと思う。
高校の修学旅行で、
沖縄のひめゆり祈念資料館を訪れた際、
あまりの「残酷さ」に、
貧血を起こし、
最後まで、観覧することなく、
外のベンチで他の生徒が戻るのを持っていた。
それ以来、
「残酷」な「現実」に出会ったとき、
決まって、私は、
「なんか、映画みたい。」と、
感想を述べた。
そして、今、ある程度大人になって、
「残酷」な「現実」を目の前に、
いまだに、私は、
「なんか、映画みたい。」という、
私にとっては、魔法の言葉に、
助けを求めている。
それと同時に、
しょうもないことしか言えない自分が、
「残酷さ」を受け止めることができないからこそ、
この悲劇を繰り返したくないと唱える群衆なかの、
「ほんのひとり」になれるということを知った。
実家をでる前、
母の本棚に、
一冊の漫画を見つける。
エドワード・オールビー『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』
シモーヌ・ド・ボーヴォワール『第二の性』
小田実『義務としての旅』(?)
なぜか、これらの本と同じ棚にあった、
一冊の漫画、
こうの史代『夕凪の街 桜の国』
Unknown_20150809184930e82.jpeg
映画化もされていました。


私は、おそらくこの漫画の冒頭で、
ヒロシマのあの日の出来事が、
いかに恐ろしいことだったのかということを、
理解した。
誰もあの事を言わない
いまだにわけが わからないのだ
わかっているのは「死ねばいい」と
誰かに思われたということ
思われたのに 生き延びているということ
そしていちばん怖いのは
あれ以来
本当にそう思われても仕方のない
人間に自分がなってしまったことに
自分で時々
きづいてしまう
ことだ
 
こうの史代『夕凪の街 桜の国』より

資料館の物販コーナーに、
この漫画を見つけて、
持っているけど購入した。
そんなことを考えながら、
蘇るもう一つの記憶。
小学校の頃、
学級文庫のために、
担任の先生が自腹を切って、
40冊購入した本。
はだしのゲンの作者、中沢 啓治氏の著書、
『はだしのゲンはピカドンを忘れない』
ここ
「残酷」な「過去」が存在することすら知らなかったあの頃、
私は、この本で、
腕の皮膚が溶けて垂れてしまうため、
腕を前に突き出して歩いている人たちと、
小さなガラスが身体中に刺さっている人たちを、
見る。
自分が何か悪いことをしてしまったような、
誰かに怒られるんじゃないかと不安で、
胃がキリキリと痛むような感覚は、
あの時、
身体のどこかに植えられたのだと思う。
そして、
この名もなき、慢性的罪悪感と生きることで、
なんとか、自分の幸せを肯定できているのかもしれない。
私と同じ世代の、
平和を漠然と願っている人たちに、
戦争の悲惨さを、
漠然と知らなければいけない、伝えていかなければいけないと、
思っている人たちに、
少しでもこの漠然とした「義務感」から解放され、
もっと「純粋」な意識に変わるように。
そんな記憶をたどりながら、
今回のヒロシマのお土産に、
これらの本を数冊。
うまく言葉にできない今回の私の旅を、
大切な人たちに渡そう。

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