フランス語が話せるようになった私が本当にしたかったこと。

さて、夏休み真っ最中でございます。
2014-2015シーズン、
最大の締めくくりは、
Fontainebleau(フォンテーヌブロー)でのプレ・レジダンス。
パリから車で1時間ほどで、
あっという間に自然の中。
今回のレジダンスメンバーは、
なんと、3年前に卒業した、
パリ15区のコンセルバトワールのメンバー。
ここで、私のフランス演劇生活はスタートした。
そこで出会った最高の同志たち、
そして演出家でもある恩師。
イエスとノーくらいしか、
まともに喋れない中で、
真摯に時間をかけて、
外国人である以上に、
ひとりの人間として、演劇人として、向き合ってくれた人たち。
いままでに、いろんな人たちに出会ってきたけれど、
彼ら以上にチームでありながら、
同時に「憧れ」が消え続けない人たちはいない。
この時に出会った恩師との時間の中で、
初めてフランス語で執筆し、演出した、
ドストエフスキーの小説をアダプテーションした一人芝居がなかったら、
いま、フランスで演劇を続けている自分はいないと思う。
そんなメンバーが3年の時を経て、
再集結。
盛り上がること間違いなし。
あらかじめ、演出家から、
メールにて与えられていた創作課題を、
森の中、
石の山、
家の中庭、
倉庫、
ありとあらゆる場所で、発表していく。
大好きな俳優たちが、
街も道も家も森も、
すべてを「劇場」に変えていく。
魅了されるから、
魅了したいと思う。
聴いてほしいから、
聴きたいと思う。
当時、全く言葉がしゃべれない私が、
一番、言葉を交わしたかった人たちと、
緩やかに流れる、
更けても更けても、
明けない夜。
あんなに自分の気持ちを伝えたいと、
話すことに躍起になっていたのに、
いざ、話せるようになってみれば、
一番、愛おしいことは、
彼らの話を「聴く」ことだったような気がする。
パリに戻ってきた数日後、
友人から送られてきた、
新聞の切り抜き。
「聴くとは、動けなくなることだ。」
きく
映像作家、濱口竜介さんのこの言葉に、
鷲田清一氏が続ける。
「心の震えに触れて、身じろぎできなくなることだ。
 そして、それにとことん身を晒すこと。」
本当に聴くということは、
いったん口を「噤む」ということなのだ。
ヨーロッパでは、
口が勝負なんて言うけれど、
実際、それは半分当たっていて、
自分の意見を言わなかったら、
やる気がないと思われてしまうことだってある。
そんなヨーロッパでも、
「噤む」ことが成立する、
創作環境がある。
人間関係がある。
きくきく
フランスに渡って3年目、
舞台の上で、
自分の言葉が観客に伝わらないのではという恐怖にかられて、
発音をメインにやってきた私だけに、
ここらで、小さな進路変更。
私の今年の目標は、
たくさん聴いて、
たくさん読むこと。

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