2年越しの日本語の台詞との再会に、新たな義務感。

先週の月曜日は、待ちに待った初読みわせ。
3週間前に私たちの学校にやってきた演出家が、
私たちと関係を作りながら、
6月の公演にむけた台本を書き上げて持ってきた。
配役も全て決まっており、
彼が、ひとりひとりの顔を思い浮かべながら書いたのだということが、
一目瞭然の台本に、
わたしたちも、つい、頬が緩む。
そして、なんと、私の役はいうと、
馬から落ち、植物状態になってしまった、
大企業の社長に、
社長代理を任された妻の役。
ちなみに、彼女は、長崎出身の日本人で、
フランス語が全く話せない。
常に、他者との会話は通訳者の役を通して行う。
後半は、設定が大きく飛躍するため、
完璧なフランス語を求められるものの、
前半は、ずべて日本語。
ちなみに、
スタージュ2週目で、
私が書いたスキャンダルなテキストは、
しっかりそのまま台本の中に組み込まれていた。
(過去のブログ記事:輝かしい経歴の起業家たちに全く興味が持てない自分を認められず自己嫌悪に陥った時の対処法
ということで、
台本を渡された日に、
すべて、自分の台詞を日本語に翻訳。
入学以来、日本語で演じるのは、はじめてのこと。
日本語の台詞を、
発しながら、
今まで一切考えたことも、
感じたことさえなかったような、
本人にしかわからないような、
微々たる差異に対する、
「発見」と「再会」の喜びに息が詰まりそうになる。
語尾、ニュアンス、強弱、イントネーション、質感…
たった1行の台詞の中に、
こんなにも可能性があったんだ、
なんて、当たり前のことに気づかされる。
そして、俳優である自分は、
自分に与えられた台詞たちの「飼い主」なのだ。
なんて、特権!
本番、私の第一言語で語られる台詞が、
その言葉を知らない観客の中で、
どう響くのか、
今から、
想像しては、どきどきしてしまう。
突如、
母国語で演じることになり、
台詞たちの「飼い主」の称号を取り戻した私は、
肌を通りすぎて、
するすると身体の中に入ってくる言葉たちと、
再会し、
彼らの新たな側面を発見する。
舞台の上での言葉は、
おそらく、
語らせるのではなく、
踊らせるのではないだろうか。
桜の花びらが、
ひらひらと、
寄り道しながら、
舞い落ちていくように、
踊っているのではないかしら。
決められた道を歩くのではなく、
風に合わせて、
踊っているような、
そんな柔軟さがほしい。
同じ台詞を、
何十回、何百回、
私の口から発せられても、
踊らせることを決してやめさせてはいけないような、
不思議な義務感にかられる、
本稽古1週目。
本番まで、あと、2週間半。

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