第65回ベルリン国際映画祭(Berlin Film Festival)で、
最高賞の「金熊賞(Golden Bear)」を受賞し、
現在、フランスで公開中の映画、
『Taxi Téhéran』を観てきました。
タイトルが示す通り、
撮影場所は、タクシーの中、
もしくは、タクシーの窓から見える範囲のみ。
監督自らが、主演し、彼がタクシーを運転しながら、
運転席の前に設置されているであろうカメラを動かしながら、撮影していく。
時には、そのデジタルカメラで撮影されたり、
i phoneであったり、
i podであったり。
撮る/撮られる
見る/見られる
カメラの前にいる人、後ろにいる人たちが、
常に、入れ替わりながら、
意識的に、
「映像」という芸術媒体を使って、
「映画」という芸術を作り上げていく。
そして、映画全般を通して、
様々なかちで、
漂い続ける、
「検閲」の影。
最終的に大勢の人目に触れることになる「映像」、
つまり、「映画」を撮っているカメラの前で、
言っていいこと、悪いこと。
言いたいこと、言いたくないこと。
言いたいけれど、聞かれたくないこと。
聞かせたいけど、言えないこと。
監督はイラン映画の巨匠、
ジャファール・パナヒ(Jafar Panahi)監督。
この作品の前に、すでに、
カンヌ国際映画祭、
ヴェネツィア国際映画祭、
ベルリン国際映画祭にて、
賞を受賞している。
国際的には、
映画監督として、大いなる成功をおさめている彼ですが、
母国イランでは、
処女作『白い風船』以外は、すべて上映禁止とされているそう。
しかも、過去に2回投獄されており、
ジュリエット・ビノシュを始めとする、
各国の映画関係者たちが、パナヒ監督の釈放を要求し、
多大な保釈金のもと、
解放された今も、
国内での映画撮影を一切禁止されている。
かつ、国外へ出ることも許されていないので、
つまり、映画監督としての職業を剥奪されたも同然。
ベルリン国際映画祭の授賞式では、
出演者で、パナヒ監督の実のめいでもある、
ハナ氏が、代理でトロフィーを受け取ったそう。
http://www.afpbb.com/articles/-/3039680?pid=15277934
2011年、自宅軟禁を余儀なくされたパナヒ監督は、
モジタバ・ ミルタマスブ監督と共同で、
自宅で、本人主演のドキュメンタリーを撮影。
その名も、『これは映画ではない(This is not a film)』
http://moviola.jp/eigadewanai/
しかも、この作品は、
USBに保存され、お菓子箱の中に隠されて、
協力者たちのもと、
カンヌ映画祭までたどり着いたという。
とにかく、
映画への愛と、
執念を感じずにはいられない、
超社会派なパナヒ監督の映画は、
常に、「軽さ」と「笑い」にあふれているのだから、
不思議。
どこまでも、
映画を撮るという行為そのものに、
真剣に監督の姿が、
こんな言い方をしては失礼だが、
お茶目で、愛らしくて、
いっぺんにファンになってしまう。
名匠でいながら、
このお茶目さを保てる秘訣とは、
一体何なのだろう?
何かモノを創るときに、
あっても、
逆に、なくても困るもの:「制約」
彼にとって、
この厄介な「制約」たちは、
最強の相棒であり、
映画を撮り続けることの、
最大の「理由」なのであろう。
彼の仕事が、
どんな状況でも、
カメラを回すことなら、
彼の作品に魅了された私の仕事は、
この映画の素晴らしさを語ることだろう。
もはや、
この映画に立ち会ってしまったの者たちの宿命とすら感じる。
『Taxi Téhéran』が日本で公開されることを願って、
私の拙いけれど、
この作品に対する熱い想いを書き残します。