ウィトゲンシュタインに学ぶ、社会人準備講座。

随分と私の前方を走っている大学時代の同志に再会。
同志という言葉を使うことをためらうほど、
遠くに行ってしまった彼だけど、
自分への戒めと、
幸運を運んでくれるであろうジェラシーのために、
あえて、「同志」という言葉を使いたいと思う。
彼から、
「才能とは勇気」という言葉を教えてもらった。
イギリスで主に活躍した、
オーストリア生まれの哲学者ウィトゲンシュタインの言葉だそう。
家に帰って、インターネットで調べたところ、
実際に、ウィトゲンシュタインが残した言葉は、
「天才とは、勇気ある才能のことだ」
ということが、判明。
つまり、
彼に教えてもらった言葉、
「才能とは勇気」とは、
私の友人の脚色だったわけだけど、
どう考えてもこっちの方がしっくりくる。
生涯を通して、「言葉とは何か」「意味とは何か」を追求した、
ウィトゲンシュタインの哲学は、
世界を「言葉」と「思考」によって定義したと言えるだろう。
有名な彼の言葉、
「私の言語の限界が、私の世界の限界を意味する」
実は、この文章の前に、
「私の世界こそが、最初にして唯一の世界なのだ」
と記述しているそう。
日本とフランスの距離、9980km。
どんなに離れていても、
どんなに時間がたっても、
人と比べることをやめることは難しい。
あの人に比べて、
私はなんてダメなんだろう、とか、
私は一体何をしているんだろう、とか、
もっとがんばらなきゃ、とか。
「才能は勇気」
勇気をもって、
自分の言語とともに、
自分の世界を確立し続けることで、
すこしでも、
前に進めるなら、
それは、才能なのかもしれない。
インターネットの普及に伴い、
他者の言語といつだって隣合わせの私たち。
気がついたら、
他者の言語の狭間で、
溺れていた。
成功者たちのインタビュー。
今すぐにでも真似したい習慣、
そして、彼らの信念。
どれも、影響されたいことばかり。
世の中は、
素晴らしい人たちで溢れかえっている。
私の言語は一体どこに行ってしまったのだろう。
「才能は勇気」
情報社会の中で、
自分の考えを言語化すること。
成功談の前に、
夢をしっかりと、
自分の言語で語ること。
自分が尊敬している人の前で、
彼の言葉に同意するだけでなく、
自分の言語を並べていくことは、
思っているより難しい。
自分が尊敬している人に語るということは、
社会に言葉を置いていくことと同じだと思う。
友達でも家族でもない、
少し遠くにいる、
ちょっと近づき難いけど、
すごいなって思っている人に、
しっかりと自分の意思を伝えることは、
社会とコミットしていくはじめの一歩。
社会の中でも迷子にならない、
自分だけの言語を探していく。
学校生活、
ちょうど半分をきったところで、
社会人への準備講座。

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