夢みるチカラと踊る一週間

このブログの一番の頻出単語は、
「夢」という言葉だと思う。
ゆめ【夢】《「いめ」の音変化》
1 睡眠中に、あたかも現実の経験であるかのように感じる一連の観念や心像。
視覚像として現れることが多いが、聴覚・味覚・触覚・運動感覚を伴うこともある。「怖い―を見る」「正(まさ)―」
2 将来実現させたいと思っている事柄。「政治家になるのが―だ」「少年のころの―がかなう」
3 現実からはなれた空想や楽しい考え。「成功すれば億万長者も―ではない」「―多い少女」
4 心の迷い。「彼は母の死で―からさめた」
5 はかないこと。たよりにならないこと。「―の世の中」「人生は―だ」
理由は、おそらく、
goo国語辞典の定義でいうなら、
5番目の、「はかないこと。たよりにならないこと。」
という理由からだと思う。
人がみる夢は、
いつだって儚くて、
語り続けてていないと、
いつのまにか溶けて消えてしまうのだ。
今回は、そんな夢にまつわる
天国と地獄の間の、
煉獄クリエーション。
いま、思い返しても夢であったとしか思えない、
不思議な一週間だった。
以前のブログでも、
紹介しましたが、
現在、私たちは、
SF映画を撮影中。
映画の中で、
11人全員が全員がアンドロイドとして、
ある舞台作品のオーディションを受ける。
そのシーンを創るにあたって、
ソロのクリエーションが、
実験的に行われました。
最終的に、
何分か使うかは一切考えず、
そのオーディションの課題として、
一人一人が夢にまつわる作品を、
時間無制限でつくり、
カメラマンとともに、
撮影する。
以下が、
実際に行われた、
「夢」クリエーションの流れ。
1.来年の演出プログラムで扱う作品(既存の戯曲を使う人もいるし、自分で書いた人もいる)を元に、モノローグを書く。
2.1の作品の登場人物が夢をみたと仮定し、その「夢」を具体的に構築する。
3.2の「夢」を絵に描く。制限時間は30分。紙は何枚使っても構わない。
4.絵を順番に見せながら、皆の前で、「夢」のストーリーを語る。
5.その夢を、一切言葉を使わずに、ダンス作品にする。ただし、マイム、もしくは、直接的に夢を説明するような動きは、すべて排除する。
6.ダンスを発表。
7.二人組をつくり、相方に、自分が1で書いたテキストを渡し、自分が、ダンスを再度発表している間に、相方は、インプロビゼーションでテキストを読んでいく。
8.撮影された7を繰り返しみて、相方が自分の動きに合わせて読んだのと同じタイミングで、自分がテキストを声に発しながら、ダンスと合わせていく。
私の場合、4までは、
なんの困難もなくすいすいと進んでいったのですが、
5から、煉獄の幕開けでした。
創作をはじめても、
まるまる三日間は、何もできず、
昼間は、他のシーンの撮影があるので、
連日、8時から深夜1時に及ぶスケジュールに、
身体も重くなるばかり。
「夢」にまつわる作品をつくりながら、
家に帰れば、
すぐに、ベッドの中で、
「夢」をみる。
そんな毎日の繰り返しの中で、
「夢」と「現実」とは、
なんだろう、と改めて考えてみました。
私には、「夢」がある。
それは、「現実」の世界にはないもので、
ないからこそ、みているもの。
「現実」の色が濃くなれば濃くなるほど、
「夢」とのコントラストは大きくなるし、
「夢」は遠くにいってしまい、
油断をすれば、
「現実」の色に混ざって、
見えなくなってしまうことだってある。
かといって、
「現実」と「夢」が、
しっかり区別できていればいいかというと、
そういうわけでもない。
「現実」の陰に脅かされていない「夢」は、
持続性がないように感じる。
「現実」があるからこそ、
現実味のない「夢」が、
鮮やかに映し出される。
このクリエーションを通して、
夜みる「夢」と「現実」の境界線と、
将来の「夢」と「現実」の境界線が、
どんどん曖昧になっていく感覚を、
止めることができなかった。
それは、
とても居心地がよく、
触れることはできないけれど、
確かにここにあるもの。
「夢」が、
「現実」を前に、
破れてしまう可能性があるなら、
「現実」自体を「夢」に、
近づけていくことはできないのだろうか?
「夢みるチカラ」、
必須要素は、
持続性。
夢の続きと目覚ましの音の間で、
目が覚める。
夢をみた。
確かに、夢をみたのに、
思い出せない。
そんなとき、
もう一度、目を開けたまま、
夢の中に入っていけたらいいのに。
最終日の撮影は、
ふたつの方法で行われた。
ひとつめは、
真っ白いスタジオの中の、
中央に、椅子をおいて、
その椅子に座って、目をつぶる。
自分の動きを頭の中で、
反芻しながら、
そのリズムで、
テキストを声に出していく。
「夢」と「現実」が、
自分が書いたテキストと、
現実の時間と、
身体の感覚の中で、
ぐつぐつと煮え出した途端、
自分がどこにいるのかわからなくて、
自然に涙が溢れてくる。
あのとき、私は、どこにいたのだろう。
そして、ふたつめが最終形。
相方がつくりあげたタイミングで、
自分のダンスにテキストをのせていく。
どんなに集中していても、
フランス語で台詞を言うときは、
いつだって、恐怖でいっぱいの私なのに、
今日は何も怖くない。
夢の中で、
私の身体が、
勝手に、夢を生きている。
私は、その夢をみているだけ。
まさかの、
取り直しなしの、
ワンショットで終了。
一瞬にも思えた夢の時間は、
現実では、22分間だった。
夢は、
大きい。
そして、
遠い。
その夢を前にしても、
私たちは、
起きて、
ご飯をたべて、
仕事をして、
寝て、
また、
起きる。
だから、
私は、
夢を実現する力よりも、
夢を「み続ける」力がほしいのだ。
だって、現実は、
いつだって、変化しながら、
それでも、続いていく。
夢は、
大きければ、大きいほど、
枯れやすい。
遠ければ、遠いほど、
失くしやすい。
だから、
今日も、
しつこく、
夢みるチカラ。

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