俳優がお金を稼ぐってどういうこと?

先週末は、くじ引きで当たりを引いて、
実にシビアな体験をすることとなりました。
モンペリエのCDN(公共劇場)、
『humain trop humain』から、
劇場主催のプロジェクトに参加する俳優を6名依頼されました。
内容は、動物園の中の熱帯室での、
リーディング公演。
初めて、学校に依頼された、
有給仕事に、心躍らせていましたが、
11人全員ではなく、
6人とわかった時点で、
フランス語が母国語ではない私に、
「読む」仕事の出番はないだろうと思っていました。
平等にくじ引きで決めようということになり、
「私は、多分、実力的に厳しいと思う」と、
弱気発言をすると、
「できるかできないかじゃなくて、
 やりたいかやりたくないかだから!」と押し切られ、
くじ引きに参加。
まんまと当たりを引いて、
猛烈な不安を抱きながら、
初めての有給仕事に参加することに。
50ページ近くある、
ほぼ論文のような、
モノローグのみで構成された台本を読み始めると、
なんと内容は、殺戮の歴史について。
はじめて出会う単語の波に、
一気に押し流され、
もはや、辞書も役に立たない。
翌日には、
早速、動物園にて、
読み合わせと、マイクテストの予定が入っていたので、
なんとか、読み合わせで、
最低限、読めるようになっていなければならない。
プロデューサーと演出家は、
外国人がやってくるなんて思ってもいないだろうし、
初日の読み合わせで、
この人には、無理そうだなと思われれば、
2日後の本番までに、間に合うはずもないので、
簡単に、他の俳優にチェンジするだろう。
授業ではないので、
私が努力して、すこしレベルが上がることよりも、
単純に、当日、観客が、
内容を正しく聞き取れるかがすべて。
そんな妄想と恐怖のなかで、
溺れかけながら、
とりあえず、配役されていないなか、
どこが当たってもいいように、
50ページ、全てを最低限口に出して読めるようにする。
とは言っても、
おぼつかない単語もそこここに残る。
そして、金曜日。
動物園での稽古読み合わせ初日。
時計回りで、順々に1ページ近くあるモノローグを読んでいくことに。
手が汗で、びたびたになりながら、
なに食わぬ顔で台本を読む。
私が、交代させられることを、
かなり怖がっていたので、
私の順番に回ってくるであろう箇所を、
となりの俳優が、耳元でそっと教えてくれる。
ナイス・チームワーク。
学校で行われるスタージュの時は、
新しい演出家が来るたびに、
言葉のレベルや、困難を話す時間を設けるようにしているけれど、
仕事としての現場において、
そんな個人的な心配事は、
共有する必要なし。
その日は、私の言語に関しては、
何も触れられずに解散。
動物の鳴き声が響きわたる、
のどかなはずの動物園も、
今日の私にとっては、
お化け屋敷でしかなかった。
翌日、稽古2日目。
配役をされながらの読み合わせ。
数カ所、発音を注意される。
フランスに来てもう長いの?と聞かれ、
3年半です、と答えると、
そんなに短いの?と驚かれる。
実は、演出家はスペイン人で、
フランス語で、公演することが多いので、
彼と仕事をするスペイン人の俳優は、
フランス語で仕事をすることが多いそう。
ということで、
実は、フランス語が母国語ではない俳優を使うことに、
そんなに抵抗はなかったよう。
フランス語は、
ひとつであって、
ひとつでない。
フランス人にしか、
話せないフランス語があるように、
外国人にしか、
話せないフランス語があるそう。
多国籍、
かつ、移民国家であるフランスにおける言語は、
日本における日本語とは、
少し違う。
以前、とても尊敬している人に、
教えられた本、
多和田葉子『エクソフォニー 母語の外に出る旅』の中に書かれていたこと。
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/6022110/top.html
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パリで講演会をした時に、
「なぜ、あなたは、フランス語ではなく、
ドイツ語で小説を書いているのですか?」
と質問されて、困ってしまったという。
アメリカ人が言う、
「ドイツ語でなく、英語で書けばいいのに」
と、フランス人がいう、
「ドイツ語じゃなくて、フランス語で書けばいいのに」
の間には、決定的な違いがあるという。
フランスには、
言語に対して、
単にコミュニケーションの手段としてではない、
芸術としての敬意があり、
この美しさに触れたいと願っている外の人間に対しては、
寛容であるとともに、
その「姿勢」(取り組み方)に対する要求が高い。
公演当日、
観客は、美術館の音声ガイドのように、
ヘッドフォンから流れる、
私たちのオンタイムのリーディングを聞きながら、
動物園の熱帯コーナーの中で、
自由に移動したりすることができる。
つまり、
俳優の声が、
かなり細かいところまで、
観客の耳に届く。
最終稽古に向けて、
猛特訓開始。
私は、合計7ページくらい割り当てられたところがあったのだが、
もう長年の付き合いになる、
パリ在住の発音の先生とスカイプで、
ひたすら発音をチェック。
面白い台本ではあるが、
内容的にもかなり複雑な内容なので、
発音が聞き取れなかったら、
観客にとっては、二重のストレスになってしまう。
日曜日。
最終リハーサル。
ゆっくり読むということを意識して、
なんとかフランス人に近い発音まで持っていく。
自分の中では、
前日と比べ、
練習した割には、
大きな変化は感じられなかったものの、
プロデューサーは、
すごい練習したね!と大喜び。
すごいうまくはなっていなかったのかもしれないけれど、
すごく練習したのは伝わったようだ。
そして、
月曜日、本番、無事終了。
いい
っっ
ぁぁ
俳優がお金を稼ぐということ。
もしくは、芸術家がお金を稼ぐということについて、
必然的に考えさせられた。
これは、信用を稼いでいくことなのだと思う。
フランスに来てから、
人の2倍、3倍「努力」することは当たり前で、
それでも、みんなと同じようにはできなくて、
学校教育範囲内において、
正直、「努力」に支えられてきた部分は、あったと思う。
必ずしも、
大きな結果が得られなかったとしても、
「頑張ってる」から、
認められてきた部分はあったかもしれない。
それが、社会に出たとたん、
「仕事」、つまり、お金を稼ぐことにつながった時、
「努力」だけでは、どうしようもなくなる。
「努力」に見合う「結果」を出すことさえもどうでもいい。
「努力」という言葉は、もういらない。
おそらく、
「努力」を、
「信用」に還元していく方法を探していくことだと思う。
なぜなら、
俳優、芸術家は、
仕事をした後に、お金をもらうのではなく、
仕事をする前に、お金をもらうことが多いからだ。
まだ実現していない自分の企画のために、
資金を集めることもあるだろう。
助成金をもらって、
自分の芸術家としての、
生活環境をつくることもあるだろう。
フランスにいると、
いかに、芸術を仕事にしている人たちが、
「信用」によって、
生活していくためのお金と、
創作を続けていくためのお金の
両方を稼いでいっているかがよく分かる。
そして、これらを両立させることが、
決して簡単な道だと思わないけれど、
決して夢のまた夢だとは思わない。
夢を見続けるために、
理想と現実を、
大きなお鍋の中に、
一緒に入れて、
長いへらで、ゆっくり混ぜる。
お金はないけど、
夢はある。
夢があるから、
お金が必要。

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