30秒でできる私の卑屈度チェック

今週の私の卑屈度と言ったら、
人様にとてもお話しできることではないのですが、
俳優にとって、
絶対無視できない問題だと思うので、
あえて、触れてみたいと思います。
ひ‐くつ【卑屈】
[名・形動]いじけて、必要以上に自分をいやしめること。また、そのさま。
何を隠そう、
今回の私の「卑屈」の原因は、
出番が少ないこと。
今回、5週間のクリエーションで、
最終日に、2作品を上演する予定なのですが、
私の出番は、片方の作品だけ。
しかも、その中でも、台詞も出番も一番少ない。
それに伴い、演出家と行う稽古時間ももちろん少なくなる。
学校のスタージュの場合、
プロの公演と違って、
最終的な上演よりも、
その過程が重要になってくるので、
配役の偏りは、基本的にないに等しいといっても過言ではないのですが、
それでも、諸事情により、
今回のように顕著に現れてしまう場合もある。
私の場合は、
もちろん、言葉によるハンデがあるので、
完全にスタートダッシュで出遅れたことが要因。
みんな、次々に台詞を覚えて、
シーンを提案していき、
それがそのまま配役につながっていった。
私の場合、
最初に自分で選んだ、
冒頭の15分近くに及ぶモノローグで、
随分ながいことつまづいていたら、
気づいた時には、
もう、他のシーンはあまり残っていなかった。
クリエーションも3週目に突入し、
連日13時から、22時まで、
遅い時には、23時半近くまで続く稽古のなか、
ほとんどの時間を客席で過ごす。
最初のうちは、
人の演技を見ながら、
学ぶことも多いものの、
やはり、自分が舞台で稽古をしているときの、
あの躍動する感じ、
あっと言う間に過ぎていく時間の流れを、
感じることはできない。
シーンが少ないからこそ、
綿密に稽古ができる、と自分に言い聞かせてはみたり、
今までに、
こういう想いを他の人がしていたかもしれないと、
思ってみたり。
ただ、
ひとりで待っている時間が長くなってくると、
果たして、この現場に自分という存在は必要なのか、
という問いが生まれてくる。
悔しさに、
孤独が混じり始めたら、
危険信号。
「卑屈」がこぼれはじめているかも。
悔しさをバネに!とはいうものの、
「卑屈」はバネにならないのが残念なところ。
水曜日、
ただでさえ、
出番が少ないのに、
まだ、稽古が付けられていなかった私のシーンが、
演出の都合上、
他の子に回される。
いつ、このシーンの稽古が始まってもいいように、
台詞も完璧に覚えていたのに。
演出家に言われたときは、
もう可哀想な自分にただただ寄り添ってあげていたくて、
一刻もはやく「卑屈」になりたくて、
何も言わずにいたけれど、
「卑屈」になったって、
自分のことを可哀想と思ってくれる人は、
残念ながら自分しかいない。
下手すると、
私は、「卑屈」を「頑張っている」と勘違いしてしまうことさえある人間なので、
ここは、ひとつ、恥を捨てて、
演出家に直談判。
「演出の都合上、
配役に差ができてしまうのは当たり前のことだと思うけど、
私も、みんなと同じ立場で、
このスタージュに参加している以上、
できてもできなくても、
同じだけのことに挑戦する権利があると思う。
だから、ただでさえ少ない出番がなくなるのは、
とても悲しい。」
日本人の感覚では、
自分が、不利な立場にいるときに、
自分の意思を伝えることは、
恥ずかしいこと、
できるなら、避けたいことのように思いがちですが、
フランスでは、あいさつと同じくらい当たり前で自然なこと。
日本の教育を受けてきた私にとっては、
もうフランスにきて、
3年以上たっても、
自分の意見をしっかり伝えるということは、
大仕事。
頭の中で、
しっかり用意した言葉を、
演出家の目をみて、
少しづつ、
口からこぼしていく。
言葉と一緒に、
用意していなかった涙までもが、
両目から、
ぽろぽろ、
こぼれていく。
27歳にもなって、
泣きながら、
出番が少ないことを訴えている状況に、
自分でも、思わず笑ってしまって、
なんだか、中学生みたいでごめんなさい、と謝る。
一ヶ月ぶりくらいに泣いたので、
(昨年はもっと頻繁に泣いていました…。)
みんなも心配して、
理由を聞いてくれたので、
台詞がなかなか覚えられないから、
出番が少ないのは当たり前なのだけれど、
もっともっと壁にぶつかりたかったんだ。
と、素直に気持ちを伝える。
今回、発見した「卑屈」の新たな性質は、
ぶり返しです。
ちゃんと意思を伝えて、
すっきりして、
自宅に帰宅したかと思うと、
さっきまでの恥ずかしさとか、
どうせいくらやっても無駄とか、
どうせ私なんかいらないとか、
どうせうまくならないしとか、
どうせ才能ないしとか、
「どうせ」節の波にのまれて、
あっという間に、
「卑屈」がぶり返してきました。
そこから、また1時間くらい泣き続けて、
泣きはらした自分の目が哀れすぎるのをみて泣いて、
泣いたまま眠ったら、
夢の中でも、
「卑屈」になっていたのか、
夜中に腹痛で目がさめる。
目の前に巨大な壁が現れて、
それを乗り越える苦しみは、
本当の苦しみではない。
そんな苦しみは人を輝かせる。
本当の苦しみは、
探しても探しても、
乗り越えるための大きな壁が現れないときである。
そんな時、
私は、「卑屈」になる。
「卑屈」になったときに、
一番やってはいけないことが、
「どうせ」節を他人にぶつけることである。
「どうせ」節は、
他人の免疫力もさげるし、
自分の免疫力もさげる。
「卑屈」は、
自分とだけ、
分かち合う。
分かち合いながら、
「乗り越えるための大きな壁」を、
一緒に建設してしまったらいいのかも。
何かに向かって戦っている人は、
かっこいい。
ただ、人間、いつだって、
ヒーローになれるとは限らない。
自分がヒーローの時もあるし、
隣の人がヒーローの時もある。
そんな隣の人がヒーローだった時、
一緒に素直に喜べるような「寛容」は、
どうやったら手に入るんだろう。
競争や、批評に常にさらされる演劇界で、
すらりと生き残っていくために、
俳優訓練期間には、
「卑屈」と上手く付き合いながら、
ライバル、そして、同志に対する、
「寛容」を手に入れることが、
絶対条件のように思われる。

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2件のコメント

  1. yukiko · 10月 19, 2015

    Facebookでよくかずき君がいいねしてる記事を見てました。
    とても素敵ですね。
    わたしの方が年上ですが、こんなにも悩んだり考えたり喜んだり感じたりできているきょうこさんを尊敬します。
    わたしもがんばらなきゃ。
    日本から応援しています。

    いいね

    • millcorun · 10月 19, 2015

      ありがとうございます!いつかどこかでお会いできたら嬉しいです◎

      いいね

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