いろいろありましたが、
2014年度すべてのスタージュを終えました。
ロシア現代劇作家、イヴァン・パヴィリエフに関する、
授業を行ってきたのですが、
演技に関する、
今回のポイントは、
「自分に戻る」
俳優にとって、
観客に見られていることを完全に意識しながら、
舞台で演じることは簡単でも、
舞台で演じないことは、
おそらく至難の技。
この「自分に戻る」ポイントを、
演技の中に散りばめていくことで、
観客にとっても、
俳優にとっても、
舞台空間における要素として、
責任感が増す。
たとえば、
観客を前にして、
腕を組んだり、
足を組んだりせず、
ただ椅子に腰掛け、
順番にそれぞれの観客と目を合わせていくこと。
なんでもないことのようですが、
特に、日本の文化背景のなかで育ってきた私にとっては、
地獄の訓練。
もちろん、
フランス人の俳優にとっても、
演じていない状況で、
観客の視線を意識しながら、
舞台上に存在することは、
やはりストレスフルな環境のようですが、
日本人よりは、
教育システム上、
人の前に立つことには、慣れているそう。
「自分に戻る」ポイントを取得することで、
爆発的な演技を生かすことができると言われ、
最終週は、
徹底して、
このことだけを意識して、
作品を作っていきました。
極端な例ですが、
マスターベーションをしながら、
モノローグを語るというシーンがあり、
このシーンを観客を完全に無視した中で、
(例えば、照明によって、客席は全く見えないような状態、
もしくは、観客がいないという程をとること。)
演じることは、
ある種の「演劇」というコードが発生することにより、
大して難しいことではないと思うのですが、
全く同じことを、
観客がここにいることを認識している中で、
行うということは、
途端に難しい、
簡単に言ってしまえば、恥ずかしい行為になります。
なぜなら、
竹中香子が演じている役が、
観客の前で、
マスターベーションをしているのではなく、
役を演じている竹中香子が、
観客の前で、
マスターベーションをしているというように、
すり替わってしまうからです。
かつ、この訓練は、ひとりで行うことができないので、
授業の時間を使って、
全員に協力してもらい、
まず、ただ座るということから、
徐々に、台詞をただしゃべるだけ、
演出プランと創っていきました。
他の生徒も、
このエクササイズを体験したのですが、
舞台にいるときは、
飄々としているように見えたのに、
舞台を離れた途端、
過呼吸に陥った生徒もいました。
最終日のプレゼンテーション、
はじめて、
フルで、
この状況下に、20分程度いたので、
後半、演出とは関係なく、
おそらく恥ずかしさと気まずさから、
猛烈に涙が流れてきて、
それでも、観客から、意識をそらすことだけはせずに続けていたら、
最後の3行は完全に、
気持ちよく舞台に「いる」ことができて、
いつのまにか、観客のみんなと一緒に笑っていた。
あらためて、
演劇の訓練は、
ひとりでできないのだということを確信して、
学校という場所の必要性を感じた。
ただ、もちろん、
集団の欠点というのもあって、
疲れがたまってきているときなど、
簡単に、それが伝染して、
グループ全体のエネルギーをさげてしまう。
9月から、ノンストップだったスケジュールに、
11人全員、
体力的にというよりは、
精神的にかなりぎりぎりの状態だった、
最後の2週間。
それでも、
なんとかなんとか、
みんなで持ちこたえながら、
最終日は、
みんなで手分けして作った食事と、
学校が用意したシャンパンで、
乾杯。
全員徒歩5分圏内に住んでいるので、
終電を気にせず、
ミラーボールと、
カラー照明で、
クラブと化した学校で、
踊り続けました。
そして、今日から、
待ちに待った冬休み。