わくわくし続けたい人は、シュルレアリスムを始めよう。

今週は、年に2回30時間づつの大学の授業。
フランスの国立演劇学校の受験資格は、
高校を卒業していることなので、
生徒の中には、学士を持っていない人が殆どです。
11人中、私を含む3人は、すでに、大学を卒業しているので、
来年3年次から、修士課程の単位を取得できるそう。
大学の授業といっても、
私たちが大学に行くのではなく、
先生が学校に出向いてきてくれて、
学校のスタジオに舞台セットの大きなテーブルを置いて、
みんなで輪になって授業を行います。
課題論文の形式は、自由。
ちなみに、私は、前回、
ダンスと論文という形式で提出しました。
ビデオ作品として、提出したのですが、
映像の出来に納得がいかないと伝えると、
8分間の作品のために、
わざわざ先生が学校まで、
生で作品を観に来てくれる、嬉しいハプニングもありました。
今回のテーマは、第2次世界大戦中の占領下での、
フランスにおける文化活動について。
世界史は、受験勉強でやったはずなのに、
全く記憶に残っていない私は、
受験勉強のサイト『世界史の窓』で復習。
1940年6月、
ドイツ軍によってパリが占領されフランスは降伏した時代のパリ。
占領に対する抵抗運動「レジスタンス」が開始された頃。
まずは、映画で時代背景を掴む。
フランス国民にとって英雄的存在、
フランソワ・トリュフォー『終電車』を鑑賞。
舞台は、ナチス占領下のパリ、モンマルトル劇場。


当時、社会的には、不安、恐怖にさらされながらの
生活を余儀なくされていたにもかかわらず、
意外にも、
人々が、映画館、劇場、美術館などに出向くことは、
過去、最も活発であったと言われている。
もう一つ、第二次世界大戦中のフランス映画として忘れてはいけないのが、
マルセル・カルネ『天井桟敷の人々』

製作期間に3年以上、製作費は16億円以上にのぼると言われている。
この作品で、パントマイム芸人バチストの役を務めている、
ジャン=ルイ・バローは、
当時のフランス演劇界にはかかせない演出家であり、舞台俳優であった。
このように、市井では、
占領中にもかかわらず、
一見華やかに見える文化が次々と開花していった。
しかし、2012年から2013年にかけて、
パリで行われたエクスポジション
l’art, en guerre(戦争下の芸術), FARANCE 1938-1947

1924年、フランスの詩人アンドレ・ブルトンによる
「シュルレアリスム宣言」
これを受けて、パリで『シュルレアリスム国際展』が開催されたのが、
1938年。
つまり、先ほどのタイトルからもわかるように、
この1938年という年が、
「戦争下の芸術」と呼ばれる芸術たちの、
発端の時期と重なっているのである。
私の敬愛する、アンドレ・ブルトンの名前が出てきたのでびっくり。
ダリとか、デュシャンとか、
シュルレアリスムという言葉とセットでよく聞くけれど、
そもそも、シュルレアリスムってなんだ?
フランス語で考えてみると割と単純で、
surréalisme
つまり、sur-réalisme
リアリズムという言葉に、
「上」という意味の接頭語surがくっついているだけ。
surréalismeの日本語訳は、
超現実主義となっていますが、
sur:「過度」に、「過剰」に、という意味があるので、
「めっちゃくちゃ現実主義」
こんな感じでしょうか。
ところで、この運動、実は、戦争と深い関係があったのです。
1914年、第一次世界大戦勃発とともに、使われた大量の兵器。
科学の進歩は、人間に豊かな生活と文化をもたらすと信じてきたのに、
現実は、ただの殺人道具にすぎないことがわかってしまった。
ここで、この文明というものを全く信用できなくなったアーティストたちが、
スイスに集合して、
こんな嘘くさい文化なんて、破壊してしまおう!と起こったのがダダイズム(1916)
戦争が終わっても、アーティストたちは、完全に目的を失っていた。
頑張って勉強して、
知識人のための高尚といわれる作品を創ることになんの意味があるのか。
その知識人こそが、
戦争は始め、
あの恐ろしい兵器をつくったのだから。
戦時中、アンドレ・ブルトンは、看護兵として、
身体的だけでなく、
精神的に壊れていく兵士たちの看護に追われていた。
他のアーティストたちと同じように、
文明の未来というものに全く希望を持てなくなる。
そこで、アンドレ・ブルトンが考案したのが、
シュルレアリスム。
理性や、道徳から解放された、
知識人だけではない、
万人が持っている意識化の世界こそが、
「芸術」に通じるのではないか。
簡単に言ってしまえば、
昨晩みた夢を「芸術」にしてしまうというもの。
それでは、ここで、
アンドレ・ブルトンが、シュルレアリスム宣言のなかで扱っていた、
シュルレアリスム的感覚を自己の中に呼び覚ます方法。
1, 自己集中
2, 麻薬
3, 夢の記憶の訓練
4, 現実からの放心
5, コラージュによる偶然
2番以外は、法に触れることなく、
割とすぐに実践できそう。
つまり、シュルレアリスムとは、
テクノロジーの発達が、理想的な社会を実現するという、
ユートピアな思想に反して、
目に見えている世界を、
知識、そして、意識とともにとらえるのではなく、
目に見えない無意識の世界に目をむけることで、
現実を超えていこうとする運動。
シュルレアリスムとよばれる分野において、
最近、完全に度肝を抜かれたアーティストは、
スウェーデンの写真家、エリック・ヨハンソン氏。
http://erikjohanssonphoto.com
erik-johansson-art-photos-7.jpg
erik-johansson-art-photos-3.jpg
erik-johansson-art-photos-24.jpg
TEDで紹介されていたのですが、
単純に巧妙というよりも、
死ぬほど夢があると思った。

(日本語訳:http://digitalcast.jp/v/12020/
日本の開発者ユニット『AR三兄弟
長男の川田十夢さんが、
アエラのインタビューの中で、
テクノロジーについて語っていた記事を思い出す。
以下、引用。
「テクノロジーが人を豊かにするというのは、合理化とは違うんです。
ルーチンの仕事をなくすことができて便利になっても、
そこに人々が楽しむ余裕が生まれないと豊かにはならない。
そのためには面白いものを提供しないといけないんです。」

人がわくわくするもの。
文明は、人をわくわくさせ続けなければいけない。
シュルレアリスムは、
なんだかよく分からない定義とは裏腹に、
実は、とてもとても寛容な芸術なのだ。
シュルレアリスムに出会ったことで、
アートの知識関係なく、
気兼ねなく、
わくわくしたいときに、
わくわくできるようになったし、
こんな無知な私にも、
人をわくわくさせることができるんじゃないか、
とも思えてくる。
ということで、
今日も、夢をみよう。
ベットの中でも、
机の上でも、
地下鉄の中でも。

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