「27クラブ」というものがあるらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/27クラブ
27歳で他界したミュージシャンたちのことを指す言葉。
あのジャニス・ジョプリンも、27歳で亡くなっているのか。
1970年、彼女が27歳の時のライブ映像。
そして、
私も本日27歳になりました。
25歳を過ぎてから、
再度、学生生活が始まったこともあって、
年齢のことになるとやたら過敏に反応していましたが、
いざ、27歳を羽織ってみると、意外にも居心地がよく、
すぐに身体になじんだのでびっくりした。
こんな感覚は覚えた誕生日は、おそらく初めて。
一昨年から、
大好きなAmerican Apparelで買ったブルーのミニスカートを、
誕生日のコーディネートにしている。
買った時から、ちょっときつめだったので、
今年もまだウエストが入るか、
今年もまだ似合うか、
以上の2点が鑑定基準。
自分の言ったことさえ、
すぐに忘れてしまうような、
「継続」なんていう言葉とはほど遠い、
常に現在形な私だけれど、
服の趣味と演劇が好きなことだけは、
唯一、変わらないことだと言える。
27歳。
多くのスターが亡くなった年。
27歳。
スターではない私の
今までに叶った夢は、
まだ一つしかないから、
当分死ぬわけにはいかないなあ、と思う。
27歳。
なんだか、自由になった気がするのは、
自分を所有しているのは、
自分だという感覚が宿ってきたせいなのか。
例えば、早寝早起きが美徳とされている社会に育ってきて、
早寝早起きを当たり前のようにしてきたけど、
今は、遅寝遅起きも経験した上で、
最終的に自分にはより効果的と思われる、
早寝早起きを「選択」している。
この「選択肢」の幅の広がりこそが、
自由につながっているのだと思う。
いままで、
「やらなければならなかった」ことも、
「やった方が好ましかった」ことも、
「やらない方がよかった」ことも、
「やってはいけなかった」ことも、
すべて、自分で「選択」することで、
「やりたい」ことか、
「やりたくない」ことの、
2択に生まれ変わる。
なんて、自由なんだろう。
フランスで、演劇を始めて、
一番大きく意識を変えられたことは、
「俳優誰しもが、自分専用の演出家になる必要がある」
ということ。
今年のフェスティバル・アビニョンのディレクターを
務めたオリヴィエ・ピィは、
フェスティバル中に開催された講演会のなかで、
演出家として、俳優との関わり方を以下のように話していた。
「演出家が、俳優の演技指導をするなんて、もってのほか。
それは、俳優に対しても冒涜である。
それは、俳優の仕事だから。
それに対して、こちらは、演出家としての仕事を行う。
ここに、コラボレーションが生まれる。
むしろ、演技指導が必要な俳優とは、仕事はできないであろう。」
最近、この話は、
日々の生活にも、
そっくりそのまま当てはまるな、と感じる。
つまり、一人一人が、
それぞれのライフ・スタイルの
ライフ・コーディネーターになる、
むしろ、なることができる、ということ。
そして、その上で、他者との関係を築いていくということ。
この仕事は、おそらく、
年をとればとるほど、
面白くなってくる。
年をとればとるほど、
バリエーション溢れる「選択肢」を提案できるようになるから。
すべてのことがらを、
「やりたい」か、
「やりたくない」に変換していけるように。
27歳。
まだまだ人生全然生き足りない私は、
「アーティスト」らしくないと言われても、
よく寝て、
よく食べて、
よく動いて、
そして、
お酒はほどほどに、
そんな当たり前のことも、
「やりたい」こと。
いつまでたっても甘やかされることが大好きな自分への誕生日プレゼントは、
大好きなMarimekkoの枕カバー。

P.S.
日本時間で8日になった瞬間から、
「おめでとう」があったので、
時差7時間分余計に、
誕生日を過ごせて、
ラッキーだった。
ありがとう。
そして、学校のフランス人たちは、
翻訳サイトで調べたらしき、
宇宙人みたいな、
「オタンジョウビ オメデトウ ゴザイマス」
を、くちぐちに言われた。
メルシー。