繊細に関する個人的な覚え書き。

2年前、
ようやくフランス語で恋バナができる程度に、
話せるようになったころ、
フランス人の女の子から聞いた話。
恋人と身体をあわせるたびに、
身体と身体が触れている場所から伝わる情報量が多すぎて、
感動して、毎回泣いてしまうと言っていた。
この一週間で、
何度この果てしなく洗練された場所で、
愛し合う恋人たちのことを思い出したことだろう。
 
新学期前のプレ稽古。
演劇のない夏休みに耐えられなくなった11人全員で、
一ヶ月早くモンペリエに戻り、
はじめて、
指導者なしの自分たちだけの学校。
私たち以外、
だれもいない学校。
11人には、
時に静かすぎるほどのいくつものスタジオと玄関ホール。
10時から23時まで、
自分たちで、3時間ずつ、
それぞれのプロジェクトを割りふってつくったスケジュール。
つまり、3時間づつ、
くるりくるりと絶え間なく、
リーダーが変わっていく。
ウォーミング・アップから、
エクササイズ、
そして、稽古まで、
一人一人が、綿密にオーガナイズし、
他のメンバーを引っ張っていく。
改めて、ひとりひとりが全く違う演劇観、世界観
そして、夢を持っていることを、
全身で受け止める。
いつのまにか、
自分をリュックサックは、
他人の夢まで詰め込んで、
ぱんぱんに膨らんでいたり。
だから、心地よくも、
この重さに耐えきれなくなったりして、
夜は、ぐったりと疲れてしまう。
私自身の企画は、
ソロなので、
この2週間は、
テキストの執筆という孤独な作業だった。
他のメンバーとのやり取りと言えば、
ドラマツルギーを引き受けてくれた彼だけだけれど、
他人が介在することで、
少なからず、
私だって、
プロジェクト・リーダーになる。
自分の書いた文章が、
彼の身体を通り過ぎていくことで、
2倍にも3倍にも広がっていき、
種まき作業をしてから、
小さな芽が出るのを楽しみにしていたところから、
一気に、夏のひまわり畑のど真ん中に立たされた感じ。
自分から綴られた文章のくせに、
自分では、もう所有することが困難になってしまったときに、
演劇の3Dな創作が始まっていくんだと思う。
ということで、
いつまでも、永遠に、
100%満足いくことはないのだけれど、
これ以上、
もうこのテキストの家主でいることはできそうにないので、
明日からは、
演出家と役者の仕事に、
移行します。
どきどき。
自分も含めて、
自分の作品への愛とか、
他のメンバーへの愛とか、
他人の身体への愛とか、
今この時間への愛とか、
愛なんて、言葉を使うのは、
陳腐だけれど、
本当に、愛としかいいようのないものたちに、
21時も回って、
身体もいい具合に疲れてくると、
背後から、優しく包み込まれていく。
その中で、
他人を見つめたり、見つめられたり、見つめ合ったり
他人の身体に触ったり、触られたり、
そんな単純なエクササイズをするだけで、
そこから伝わってくる、
「生きてること」の情報がどうにもこうにも氾濫してしまって、
愛おしくて、美しくて、嬉しいのに、
どうして涙が出てくるんだろう。
毎回、稽古は、
輪になってのフィードバックで終わる。
わたし、
さっきね、
泣いちゃったのはね、
すごい、ポジティブな涙で、
悲しいとかじゃないからね!
って、
なぜだか、
言い訳みたいに、
息せききりながら、
必死になって発言すると、
そんなのみんな知ってるよ。
って、
10個の笑顔に囲まれる。
そう。
それなら、いいの。
よかった。
また、ずいぶんと、
暑苦しいようだけど、
怒ったり、
泣いたり、
笑ったり、
「大げさに」毎日を生きることも、
私たちの仕事の一部であるような、
そんな感覚に守られた一週間。

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