日曜日の夜は、
メランコリーになる確立が極めて高い。
ちなみに、この症状は、
個人的なものではないらしく、
日本では、サザエさん症候群という名で存在するらしい。
そんなメランコリーな日曜日の夜に、
さらにメランコリーに拍車をかけるように、
ソロ・クリエイションのため、
フロイトの「エロスとタナトス」の研究を進める。
簡単に言ってしまえば、
精神分析の分野で、
エロス=生の欲動(生存欲求)
タナトス=死の欲動(自己破壊願望)
と、解釈されるもの。
しかし、これらは、
単に表裏一体の関係にあるので、
どちらかが、外に出てくれば、
もう一方が、潜在意識として、
隠れるだけのことのよう。
エロスが高まりすぎることによって、
タナトスが出現することもあるし、
逆に言えば、
タナトスが高まりすぎても、
エロスが戻ってきてくれるかもしれない。
ということで、
メランコリーな日曜日も、
安心して、メランコリーしてみる。
ちょっと、エロスが引っ込んで、
タナトスが浮上してるだけのことだから。
無知な私にも安心な、
光文社古典新訳文庫シリーズは、
文字が通常より大きいというだけで、
正直かなり救われる。
このシリーズで、
エロスとタナトスについて調べていくと、
アインシュタインとフロイトの往復書簡、
『人はなぜ戦争をするのか』に行き着く。
アインシュタインは、フロイトに、
「人間には戦争を行う必然的な攻撃衝動があるのではないか」
という問いを立てる。
フロイトの答えは、イエス。
タナトスと言う人間に本質的に備わった欲動をあげている。
タナトスが外界に向けられた場合、戦争につながり、
タナトスが自分自身の内側に向けられた場合、人間の倫理や道徳になるという。
ここで、フロイトは、
「文化」というキーワードをあげる。
ここに、戦争を阻止するヒントがあるという。
1、知性を高め、欲望を自らコントロール。
2、攻撃的な欲望の矛先を内面にむけること。
メランコリーな夜はゆっくり、ゆっくりと過ぎていき、
「戦争」というキーワードから、
『ヒロシマナガサキ』というドキュメンタリー映画を観る。
この作品は、日系3世のアメリカ人監督、
スティーヴン・オカザキ氏が25年間かけて完成させた、
ヒロシマ・ナガサキ原爆投下に関するドキュメンタリーである。
私は、美しい芸術に関して、
畏怖の念を込めて、
最上級の褒め言葉として、
「怖い(こわい)」という言葉を使うが、
このドキュメンタリーに関しては、
最上級の褒め言葉を与えたくても、
「恐い(こわい)」いう言葉になってしまう。
DVDだったので、
何度も何度も、
一時停止ボタンを押しながら、
トイレに行ったり、
歯を磨いたり、
お茶を飲んだり、
何度となくエクスキューズな休憩を取らずには、
最後までみることができなかった。
本当に、
本当に、
恐かった。
14人の被爆者と、
4人の原爆投下に関与したアメリカ人の証言。
大学生のとき、
大好きだったアーティストグループ、Chim↑Pomが、
2008年に被爆地である広島市の上空に、
飛行機雲で「ピカッ」という文字を描いたアーティスト行為が、
被爆者団体を前に謝罪会見を開く「騒動」に発展した。
そして、この騒動を検証することを目的に、
本人たちが出版した本。
『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』

この本の中で、
広島県原水爆被害者団体協議会理事長である坪井直氏との対談が、
掲載されており、
当時、何故か、トイレでこの本を読んでいて、
坪井氏の言葉に、
発作としか言いようのないほど、
苦しいくらいに、
涙が止まらなくなって、
トイレから、30分近く出られなかったことを思い出した。
そして、トイレから出たあと、
もうどうしていいかわからなくて、
泣きながら、
もはや何を書いたのかも覚えていないけれど、
手紙を書いて、投函した。
そして、なんと一週間後、
どこの馬の骨ともわからない若造に、
坪井氏本人から、
ハガキが届く。
彼の行為こそが、彼ら証言者たちの想いなのだと思う。
『ヒロシマナガサキ』のなかでも、
彼は、証言者として出演している。
ドキュメンタリーの中には、
目を覆いたくなるような映像や、写真も出てくるのだが、
それよりもなによりも、
「恐い」のは、
彼らが、これらすべての忌々しい記憶を、
証言するという行為そのものなのだ。
そこまで、
自分を苦しめても、
彼らは、もう二度と戦争を起こさないために、
戦争で、原爆で亡くなった人たちに対する、
義務を背負って、
証言を引き受ける。
この意志から紡ぎ出される言葉と、
彼らのポートレートそのものが、
このドキュメンタリーのすべて。
私たちに、
エロスの欲動が、
少しでもあるなら、
ただ、単純に戦争が「恐い」と思いたい。
痛いのが「恐い」
熱いのが「恐い」
苦しむのが「恐い」
病気になるのが「恐い」
人が死ぬのが「恐い」
自分が死ぬのが「恐い」
「恐い」
「恐い」
「恐い」
私は、戦争が「恐い」から、
反対する。
毎日、
ほんの少しずつでも、
私に存在するタナトスをコントロールできるように、
内側に向けることができるように、
「文化」しないと。