フランス語で、
抽象的すぎるとはわかっていながら、
音とイメージがあまりにもぴったり重なり合うので、
どうしてもよく使ってしまう、副詞がある。
esthétiquement [エステティックモン] (副)
-美的観点から言うと
-美しさの点では
自分的には、「美的に」という訳が、
絶妙にしっくりきている。
こんな、esthétiquementの派生語である、
esthétiqueというタイトルの雑誌が、
日本美学研究所より出版された。
美学文芸誌「エステティーク」Vol.1 特集:美
「美」と日々向き合っている、
さまざまな職業の方々による、
まさしく、「文章」という媒体を用いた芸術作品。
その中でも、特に心臓を激しく愛撫してきたのが、
現代魔女術研究・実践家、谷崎榴美氏による文章『このましくない感じ』
谷崎榴美(たにざきるみ)公式サイト
http://lumitanizaki.com/
魔女という宗教の一信徒として、
私は「魔女です」と名乗っているのです。
さて、そんな彼女の魔女的観点から語られる、
「美」とは?
「このましくないもの」とは?
聞くところによると美しくなることは全女性の宿願らしい。
魔女として言わせてもらえば、
まず「このましくあること」をやめるべきだ。
中庸は、平均は、無条件の甘やかしを提供する無害な存在は、
先ほども述べた通り、
最も美から遠い存在なのだ。
(『エステティーク』谷崎榴美「このましくない感じ」p.56より引用)
この「このましい」という表現は、
言い得て妙だと思う。
特に、フランスの中にあった私の日本人である身体は、
日本の中に戻ってきて、
この「このましい」という感覚は、
惰性を許しながら、
すっぽりと包み込まれるような安心感と、
理由もなく、抗ってみたくなるような、
思春期的衝動と、
この背反するふたつの感情を絶えず与え続けた。
保存の眠りから目を覚まし、
美を貪り美に溺れ、
美の神とともに生きる事。
その誓いの証として私は、
私たちは、
自らを「魔女」と呼んでいるのだと思う。
(『エステティーク』谷崎榴美「このましくない感じ」p.58より引用)
年明けに、たまたま自分の本棚から見つけて、
たまたま読み始めたら、
ついつい夢中になってしまった本、
鹿島茂氏の悪女入門 ファム・ファタル恋愛論を思い出す。
『マノン・レスコー』や、『椿姫』『ナナ』、
そして、『マダム・エドワルダ』まで、
フランス文学界を代表するファム・ファタルたちを、
作品ごとに徹底的に分析された一冊。
真のファム・ファタルは、
谷崎氏が言うように、
まさしく一種の宗教であり、
れっきとした哲学のもとに成り立っているのだと、
改めて感じさせる。
今回の日本滞在で思い知らされたことは、
現在の私には、
「名刺」がないということ。
フランスでは、
国立である学校の名前に少なからず守られている部分があるのだけれど、
一歩外に出れば、
私を説明し、
守ってくれるような組織は、
今のところ存在しない。
「帰属」しないということは、
自由なようでいて、
ふと、しんどくなることがある。
だから、
私は「魔女」を目指す。
自分の「名刺」は、
今、あなたの目の前にいる私自身でしかないのだから。
私の口から、紡ぎ出される言葉。
私の顔から、泳ぎ出る表情。
私の目から、示し出される方向。
私の手から、溢れ出るダンス。
私と、
私の夢を守るのは、
私自身。
とは言うものの、
久しぶりにページをひらいた大好きな写真集、
有田泰而『First Born』を見ると、
やっぱり結婚、出産を、
どんなに素晴らしいだろうと想像に浸るばかり。
被写体は、彼の奥さんと子ども。
ちなみに、この写真集の出版に協力したのは、
彼の二人目の奥さんだそう。
モラルが混在する世の中において、
この関係は何とも、
“esthétique….”