おかげさまで、
『Une Vitalité désespérée』d’après Pier Paolo Pasolin
モンペリエ公演、パリ公演、
無事、千秋楽を迎えることができました。
舞台に立ち始めてから、
もう随分たつけれど、
ほんのすこしずつ、
「俳優のプロフェッショナリズム」というか、
目指すべき場所を、
証明しつつある気がする。
何故かというと、
そもそも、
私が、
本当に、
不器用で、
不安定で、
フラジール過ぎる役者だったから。
むしろ、
そこを売りにしてもいいくらい、
ダメ俳優だったことと、
それでも、
増大し続ける演劇に対する壮大な愛のおかげで、
いい実験台になれたんだと思う。
ENSADに入学してから、
1年間、
言葉のハンデがあるため、
他の人より、
3倍、4倍、稽古するのは当たり前で、
そのことに対して、
無謀だと思ったり、
無意味だと思いながら、
泣いてみても、
状況は変わらない。
ただ、やるだけ。
それ以外に、方法はなかったから。
そこから、
できないところから、
やりつづければ、
できる。
という、メカニズムが見えてきたとき、
不満や、疑問、疑い、
すべてが消えた。
目の前にあることを、やるだけ。
実際は、
終わりがあるものなんて、
何もない。
とにかく、時間が許す限り、
やるだけ。
そこから、
自ずと変わってきた、
作品への取り組み方。
作品に対する、
「投資」力をあげることで、
成功や、失敗に関する、
リスクがどんどん、
あがっていく。
俗にいう、
ハイリスク・ノーリターン
の可能性を背負って、
目指すところは、
ハイリスク・ハイリターン。
ふたつにひとつ。
ポジティブな評価に対する関わり方も変わってきた。
以前は、
常に、腰を低く、
謙虚な態度をとるように心がけていたけれど、
自分を過小評価することは、
逆に、
自分で自分を守ってあげているのではないかと、
思うようになった。
過大評価をするのではなく、
評価がついてきたときには、
ステップを一段あげて、
自分のレベルをそこに合わせるだけ。
このレベル調整を常に行うことで、
新たな課題が自ずとついてくる。
成功を自信に変える、唯一の方法。
おそらく、
チャンスで得た成功ではなく、
「だって、いっぱい練習したもん。」
と言って、
さらりと流せるような成功のことだと思う。
そしたら、
自然に、次の成功のために、
やることは、
もう目に見えている。
「もっと、練習するだけ。」
そして、
昨晩は、3年生との最後の夜。
パリから、戻ってきた私たちを、
学校の庭で、
3年生とバーベキューが待つ。
メインは、
3年生から1年生に、
le flambeau(聖火)を受け継ぐ儀式。
1年前、
学校に入学したとき、
3年生の公演を観て、
自分たちは、
絶対こんな風にはできないと、絶望したし、
絶対こんな風になりたいと、渇望した。
そんな、私たちの憧れのヒーローだった3年生たちが、
卒業する。
生まれつき才能がないと、
成功できないと言われがちな職業:俳優。
このステレオタイプを、
ちょっとづつ、
ちょっとづつ、
崩していくことが、
今の私の夢。