「哲学って何?」の答えを発見した!! すごいぞ、フーコー!!

脳が興奮して、
アドレナリンが出ている状況というのは、
何かと効率がよい。
ただ、恋愛と同じで、
興奮を継続させるということは、至難の技。
心躍る、クリエイティブな興奮的時間と、
地道な、繰り返すだけの鍛錬する時間と、
両方あって、
結果としての最高のパフォーマンスが生まれる。
でも、怠け者の私は、
やっぱり、
恋愛も、演劇も、
「興奮」している時間が好きだ。
毎回、スタージュ終了後の週末は、
俗にいう、燃え尽き症候群的なものに陥るので、
「興奮」を求める時期でもないのだけれど、
知らないことを知りたくなる。
そんなときは、
とりあえず、
わかっても、
わかんなくても、
無理矢理、
大好きな「哲学」をしてみる。
ということで、本日の一冊。
『哲学の舞台』ミシェル・フーコー (著), 渡辺 守章 (著)
フーコ
ミシェル・フーコーは、『狂気の歴史』『性の歴史』で有名なフランスの哲学者。
そして、渡辺守章先生は、フランス演劇研究の第一人者で、東京大学名誉教授。
そんな、二人が対談して、日本人のために書かれた哲学書なのです。
しかも、語っている内容が、
割と、「狂気」、そして、「セクシュアリティ」について!
おそらく、演劇人にとって、
こんなに興奮するテーマはない!(?)
そもそも、哲学って何?
フランスで、哲学という単語が連発されるたびに、
聞きそびれてきましたが、
とうとう、その決定的な答えを発見。
(以下引用)
すでに久しい以前から哲学の役割は、
隠れていたものを露呈させることではなく、
見えるものを見えるようにすることだった。
余りにも近くにあり、
余りにもわれわれと密接であるために見落としているものを立ち現せることである。
見えないものを見えるようにするのは科学の役割なのだ。
(p,148)
「見えるものを見えるようにすること。」
もう、はっきりと見えているものこそ、
私たちは、疑ったり、よく見直そうとしたりしない。
常に現在形で、
見えるものを見えるように、仕向けてくる哲学の言葉は、
全然、過去の偉大で高尚な、
まるで手が届かないようなところにあるものではなく、
twitter、facebookやLineなどなど、
いつも、「今」を探している私たちの時代にぴったりなものなのだ。
きっと。
実際、フーコーも、伝統的な哲学的問い、
例えば、
「魂とは何か?」
「永遠とは何か?」
というようなものよりも、
最も重要なふたつの問いを挙げています。
「われわれは何者か?」
「今、何が起きているのか?」
とし、
彼が最も関心を持つものとして、
「事件」をあげている。
(以下引用)
〈現在時〉の哲学であり、
〈事件〉の哲学であるこの哲学は、
演劇が対象としていたものを、
哲学の角度から捉え返そうとするものだと言えます。
というのも、
演劇は常に〈事件〉を扱うものであり、
しかも、演劇の逆説は、
まさにこの〈事件〉が繰り返されるということにあった。
(p,21)
いつまでも、
成長を求め続けた人な、
亡くなってもなお、
彼の言葉が、
時代を超えても全く古びることなく生き続けるから、すごい。
明日からは、
どんな、
「見えるもの」が、「見える」ようになるんだろう。

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