スタニスラフスキーと同じくらい有名になるはずだった人「フセヴォロド・メイエルホリド」について

今週は、一週間の大学の美術および演劇理論の授業でした。
大学の授業と言っても、
私たちが大学に出向くのではなく、
大学から先生がやってきて、
12人で机を囲んで行います。
年間、計50時間、
+課題を提出することで、
3年後の学校卒業時に、
大学4年制に値する学士課程を習得することができます。
高等コンセルバトワールの場合、
受験資格が18歳以上26歳以下なので、
学士を持っていない人がほとんど。
東京で卒業した私を含めて、
学士を持っているのは、
ふたりだけ。
すべての高等コンセルバトワールに協定大学があるため、
現実的にはかなり厳しいが、
修士論文を書いて、マスターをとることもできる。
さて、前期は、ヨーロッパで演劇をやる上で、
避けては通れない「ギリシャ悲劇」かんする授業を終え、
今回は、幅広く、
美学と関連づけられた以下のテーマ。
●フランス現代演劇開拓者ジャック・コポー
●フランスでは演劇関係の場所には、どこにでも彼の写真があるルイ・ジュヴェ
●総合芸術としてのバレエ・リュス
ロシア・アヴァンギャルド
表現主義(主にドイツ表現主義)
バウハウス
そして、日本ではめったに耳にしない、
フセヴォロド・メイエルホリドについて。
俳優教育の創始者と言って、
誰もが頭に思い浮かぶのはスタニスラフスキーですが、
私が過ごしてきたどちらかというとヨーロッパよりな演劇環境の中で、
言われてきたことや、
共感を持っていた考えは、
実は、スタニスラフスキーと正反対のメイエルホリドのものだったようです。
この不運な天才は、
スタニスラフスキーと同じくらいの偉業をこなしながら、
なぜ、知名度でいうと、
雲泥の差になってしまったのか。
ミステリー!
メイエルホリドは、
実は、スタニスラフスキーの一番弟子でもあり、
モスクワ芸術座の『かもめ』でも、トレープレフ役を演じるなど、
とにかくピカイチの俳優でした。
しかし、スタニスラフスキーの「感情」から創る
自然主義的・心理主義的演劇、
いわゆる「なりきる」演技は、
当時の社会に適していないと考えました。
彼にとっては、
劇場=工場
俳優=労働者
演技=労働
だった。
ということで、身体に特化!
「悲しいから泣く」(スタニスラフスキー「リアリズム演劇」)
のではなく、
「泣くから悲しい」(メイエルホリド「非リアリズム演劇」)
へ。
つまり、スタニスラフスキーが、さまざまな状況における「心情」をメソッド化したのに対して、
メイエルホリドは、さまざまな状況における「身体の状態」をメソッド化しようとした。
彼にとって、俳優の演技とは、「舞台の運動」
そこで、「ビオメハニカ」という、
俳優訓練システムを発明。
アメリカの技師F.W.テーラーさんがつくった、
労働形態の最大生産性を目的としたシステムを、
俳優へ適用することを試みた。
そして、
与えられた状況のリズムと、
自らの身体のリズムの関係を徹底的に解明していく。
ついでに、この訓練をする前に、
瞬時に集中力の高い状態に持っていける便利なエクササイズ「ダクチリ」なんていうのも、
親切に発明してくれている。
彼が1922年に初演した構成主義演劇『堂々たるコキュ』は、
(コキュとは、寝取られ亭主という意味)
「俳優は、多くの部品から組み立てられた素晴らしいエンジンであると想定される。」
と評される。
つまり、俳優が自分の身体を最大限に扱うことが、
正確な意味を伝えることにつながるということ。
メイエルホリドにとって、
俳優とは何か?
俳優=指示する人(脳)+実行する人(身体)
つまり、すべての俳優が、
個々の身体の演出家的役割も担っているということ。
メイエルホリドにとって、
「革命的演劇」とは何か?
「新しい階級によって、気晴らしの手段としてだけでなく、
 労働者の労働パターンに対して、
 何かしら”有機的で不可欠な”ものとして実用化されるべきである。
 われわれの芸術の形式のみならず、
 方法もまた転換しなければならない。」
(Edward Braun, Meyerhold on Theatre, (New York 1969) p.168
武田清2001:264 による和訳を引用)
娯楽として、ブルジョワジーにためにあるのではなく、
大部分である、労働者階級にはいり込んでいけなければ、
演劇が社会にとって、”有機的で不可欠な”ものには、
なり得ないということ。
パゾリーニも同じようなことを言っていた。
というか、目指していたなあ。
最後に、メイエルホリドが、スタニスラフスキーほど、
有名にならなかった裏には、
しっかりと言い訳があります。
当時、ソビエトで唯一国から公認されていた、
社会主義的リアリズムを拒否したため、
スターリンに目をつけられてしまったのです。
1939年に逮捕されたあと、
メイエルホリドの名前は抹消される。
という訳で、
彼の俳優教育システムは、
彼の名前を出さずに受け継がれていくことになる。
あとは、単純にスタニスラフスキーの『俳優修行』のように、
自らのメソッドを、
文章に残さなかったせいだとも、言われているそうです。
ということで、演出家、及び、俳優の皆さま、
何かのおりには、
自分の演劇に対する考えをぜひぜひ文章化して下さい。
そして、後世に残しましょう。
ちなみに、
メイエルホリドとスタニスラフスキーは、
決して仲が悪かったわけではなく、
メイエルホリドは、スタニスラフスキーのナチュラリズムを否定しつつも、
「舞台の上で、登場人物は、すべて目的があって行動しなければならない。」
という教えを、
構成主義の観点(抽象性、革新性、象徴性)であっても、
探求し続けたそうで、
やっぱり、師と弟子の絆は、
親子の絆くらい、
固くて熱いものがあると思う。
参考文献:
上田洋子(2010)「フセヴォロド・メイエルホリドの 演劇における構成主義再考」『演劇研究』34
武田 清(2001)「メイエルホリドの俳優教育 一 ビオメハニカ再論」『明治大学人文科学研究所紀要』48
佐藤正紀(1971)「新しい演劇の探求 一 メイエルホリドの場合 一」『明治大学人文科学研究所紀要』8,9

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