tg STANに学ぶ演劇における「詩」の絶対領域

かなり昔から観てみたかった、
ベルギーのカンパニー『tg STAN』観劇のため、
モンペリエから、
はるばる3時間20分かけて、
週末パリへ。
『Nusch』『Mademoiselle Else』
http://www.theatre-bastille.com/saison-13-14/les-spectacles/tg-stan-3-pieces
今回は、なんと同じくベルギーのダンス・カンパニー、
日本にも何度も来日している、
RosasのAnne Teresa De Keersmaekerともコラボレーション作品。
(ローザスに関する過去のブログ記事:テレビで『空飛ぶ広報室』が無料で観れるのに、それでも劇場に行くか?
ちなみに、tg STANの方も、
昨年末に、『Nora ノーラ』上演で来日していました。
http://www.owlspot.jp/performance/131127.html


tg STANは、
演出家を持たない、
役者だけのアーティスト集団として、
フランスで、
同じ体制をとっているLes Chiens de Navarreと並び、
根強い人気を誇っています。
若い演劇人の間でも、
ひっきりなしにtg STANの名前が飛び交っていたので、
どんなに突飛な集団なのだろうと、
期待していたのですが、
私が、
目の当たりにしたものは、
まさに、
「原点回帰」
フランスが誇る、
世界一の演劇祭『Festival d’Avignon』では、
2010年度より、
演劇祭のプログラムを、
「演劇とパフォーマンスの間」
に位置させると宣言しました。
Ils utilisent le langage des mots, des corps, parfois de la musique,
cherchant des formes entre théâtre et performance,
et, à travers leur douleur, colère ou tendresse, disent notre époque.”
Hortense Archambault et Vincent Baudriller

http://www.festival-avignon.com/fr/Archive/Edito/2010
そんなこんなで、
ヨーロッパでは、
言葉がわからなくても、
フェスティバルでの観劇が、
毎年楽しくて仕方がありませんでした。
そして、
言葉のことは、
あまり考えずに、
「パフォーマンス大好き!」という態度で、
渡仏してしまい、
演劇の教育現場で、
この3週間、
すっかりテキストとの壮絶な戦いに、
苦しめられ、
「結局、演劇が言葉の芸術なら、
外国語でやる意味ないだろう。」
と100回くらい、
自暴自棄になりましたが、
昨日、tg STANを観劇し、
テキストとか、
演出とか、
を通り越して、
演劇においての、
テキスト(言葉)と対峙することの、
絶対的な必要性を、
確信しました。
演劇とは、
「詩的な」空間と、
「詩的な」時間で、
人間の「詩」を産み出していくこと。
つまり、そこでの、
役者の仕事は、
テキストをうまく伝えることでも、
うまく演じるこことでもなく、
与えられた再現性のある言葉(台詞)を道具に、
一回性の「詩」を産み出すこと。
産み出し続けること。
「パフォーマンスが大好き!」な私は、
コンセプチュアルな、
俗にいうアート的な演劇が大好きで、
台詞ばっかりの小難しい作品には、
アレルギー持ちで、
テキストには、いまいち興味が持てないでいたのですが、
tg STANにとっての、
テキストは、
「詩」を産み出すための、
道具でしかなかった。
だからこそ、
その「詩」は、
役者のためでも、
観客のためでもなく、
私たちが、
偶然共有した、
時間と空間に捧げられたもので、
それは、
もう奇跡としかいえない、
「フィクション」でしかない「現実」だった。
定員25名、
観客が大きなテーブルを囲んで観劇する『Nusch』

45分間、
役者は演じるのでも、
物語を語るのでもなく、
「詩」を私たちの前に、
ワインを注ぐように、
(実際、観客それぞれの前にあるグラスに、
 ワインを注ぐところから始まる。)
強要することなく、
適切に提示する。
そして、
観客の私たち自身が、
「現実」の空間において、
「フィクション」の創造主、
つまり「詩」を産み出す。
目の前にいるさっき出会ったばかりの、
テーブルを取り囲む25個の顔が、
歪んだり、
ほころんだり、
涙を浮かべたりする。
赤ワインの香り。
蛍光灯。
テーブルがきしむ音。
役者の口からにじみ出る、
言葉が、
そのすべての材料をあますところなく使って、
「詩」を産み出す。
「詩」が産まれる場所では、
全員がひとりひとりであることを、
守られている。
25人の25通りの反応が、
気持ちいい。
そして、
「原点回帰」
アリストテレスのカタルシス
「心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること」
三省堂辞書サイトより)
テキストを、
「詩的」なるものの一部として、
とらえることができたところで、
今までになかった新たな感情が…
「全部理解したい!!」
今年の目標2
語学を言い訳にできる、
最後の年にすること。

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