どんなに悲しいことがあっても、芸術も、人生も続く。続く。

遅ればせながら、
2014年、
おめでとうございます。
私にとって、
暴力的に悲しいニュースとともに、
始まった2014年。
年末年始を、
日本で過ごしていた私に飛び込んで来たのは、
フランスの地方紙、そして、翌日の全国紙にて、
報道された、
私が通っている
l’Ecole Nationale Supérieure d’Art Dramatique de Montpellier (ENSAD)のディレクターが、
自らの意思で命を絶ったという知らせでした。
http://www.midilibre.fr/2014/01/04/montpellier-la-brutale-disparition-de-richard-mitou,804091.php
いつも、
日本からフランスに帰る飛行機の中で読むのは、
重松清さんの本。
重松さんの本は、
熱すぎず、
冷たすぎず、
なにも特別じゃない今日と、
なにも特別じゃない私を、
いつも、愛おしく思わせてくれるから、
日本を離れる、
少しだけセンチメンタルな日には、
もってこいのサプリメント。
たまたま、鞄に入れた今回の重松文庫は、
『きみ去りしのち』
きみ
http://bunshun.jp/pick-up/sarishi-nochi/
幼い我が子を亡くした母親。
「乗り越えなくても、慣れることなら、誰でもできるよね。」
余命を告知された母親が娘にしてあげられる最後のこと。
「幸せに死んであげたい。」
ホスピスで患者の死を共に迎える医師
「名医って、患者の家族を幸せにしてくれるお医者さんのことなんだよ。」
「家族」が「遺族」になったときはよけいにね。

「死」とは、
おそらく、
亡くなった人の物語が終わることではなく、
残された人の物語が続くこと。
どんなに悲しくて、
どんなに泣いて、
どんなに慰めあっても、
「残された」私たちの今日は、
続いていく。
月曜日に、
小さな全校集会があり、
「演劇は、
L’art de la vie(人生の芸術)
だから、
人生の哀しみも、喜びも、怒りも、
人生で生じるすべてを受け入れて、
続けていかなければいけない。」
前ディレクターの言葉をうけて、
30分後から、
予定されていた通り、
ピナ・バウシュ・ヴッパタール舞踊団、
元ダンサーFrancis Viet氏のスタージュが始まる。
人生でおこる、
ノン・フィクションなことがらにおいて、
動けなくなっても、
舞台上でおこる、
フィクションなことがらは、
決して止まらない。
続く、
続く、
続く。
舞台の上では、
どんなに悲しくても、
悲しい音楽が流れるとは限らない。
だから、
続く、
続く、
続く。
陽気な音楽と、
へんてこな振り付けから、
始まった、
彼のスタージュは、
ノン・フィクションの「哀しみ」も、
決して無視することのない、
優しい時間。
2014年も、
情熱的に、
かつ、
知的に、
演劇していきたいと思います。
今年の目標は、
今までは、
だいぶ、
離れたところにいた、
「演劇」と「生活」
つまり、
「フィクション」と「ノン・フィクション」、
このふたつをいかに、
近づけていけるかを、
課題にしたいと思っています。
前ディレクターの、
「演劇は、人生の芸術」という言葉と、
2013年最後に一番影響を受けた、
中国人現代美術家であり建築家、
(もはや、彼は思想家の域ですが。)
アイ・ウェイウェイの言葉。
「表現の自由がなければ、
人生の美しさも失われてしまう。
芸術家は選択肢のひとつとしてではなく、
人間としての必要に迫られて
社会に参加する道を選ぶのだ。」

『アイ・ウェイウェイ主義』より
ついでに昨年封切りのドキュメンタリーも!
映画『アイ・ウェイウェイは謝らない』


「芸術は革命だ!」

1件のコメント

  1. satona · 1月 9, 2014

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    このドキュメンタリーめちゃ面白そう!
    見にいくね。

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