「達成感」と「疲労感」の上手な見分け方。

フェスティバルも残すところあと2日。
私たちの公演も今夜、
そして、
明日が千秋楽。
この2週間、1年生12人で、
本公演としてモリエール『ヴェルサイユ即興』
リーディング公演としてWilliam Pellier『GRAMMAIRE DES MAMMIFÈRES』(超コンテンポラリー戯曲)
を発表しましたが、
その間に3年生は、
演出・出演を含めすべて、
14人だけで、
2週間の間に、
全7作品を3回づつ発表。
人によっては、
19時開演の公演から、
21時開演の公演に
立て続けに、出演。
日々、テクニカルスタッフとの打ち合わせや、
装置替えなど、
めまぐるしいスケジュールのなか、
日が経つほどに、
キラキラ輝きを増していく3年生に、
尊敬と憧れの眼差し。
10月から、
突如として幕を開けた、
私の学校生活。
噂に聞いてはいたものの、
ハードすぎる言葉の壁と、
体験したこともない拘束時間に、
「疲労感」を全身に背負うことで、
うっかり「達成感」まで感じてしまっていたみたい。
あぶない、
あぶない。
アルバイトをしたことがある人なら、
誰でも感じたことがあると思うけど、
アルバイトの「疲労感」は、
ついつい「達成感」まで与えてしまうから厄介。
私は、アルバイトなのに、
うっかり充実してしまったことが何回もある。
そもそもアルバイトとは、
「仕事」「研究」「業績」などを意味するドイツ語「Arbeit」が語源で、
なんと、造語「ロボット」が造られた基となる「robota(強制労働)」と同源らしい。
http://gogen-allguide.com/a/arbeit.html
いくら疲れたといっても、
強制労働で、
「達成感」感じてしまっては、
ダメでしょう。
さまざまな理由があると思うけど、
夢を追っている人のアルバイトに関しては、
「早く辞めたい」と常に心に思いながら、
ちょっと行きたくない日もあるくらいに、
アルバイトとして働いている人を、
心から尊敬する。
そういう人は、
「疲労感」と「達成感」の違いを、
しっかりとわきまえている人だから。
「疲労感」に流されての、
充実「慣れ」は、危険。
「疲労感」によって、
誤って「達成感」まで感じてしまうことはあっても、
「達成感」によって、
誤って「疲労感」まで感じてしまうことはない。
むしろ、「達成感」は、
「疲労感」を感じないところに存在する。
それにしても、
最近の私は、
「疲れた」が口癖すぎる。
大人になると、
「疲れた」と、
とりあえず言いたくなるのは何故だろう。
おそらく、「疲れて」いることで、
よくやっている感、
よく働いている感、
よく頑張っている感、
をアピールしたいのだろう。
子供のときはだれもが、
きゃっきゃ、きゃっきゃして、
いつのまにか、
疲れ果てて、
ぱたりと、
眠りこけるまで、
「疲れた」なんて予告しなかったのに。
「疲れた」を決めつけるより、
きゃっきゃ、きゃっきゃしてた方が、
多分、
魅力的。
もう何日も、
充分に寝てないだろう3年生たちの、
浮き浮きした瞳をみれば、
一目瞭然。

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