本日は、
フランスにいる限り、
毎年避けては通れない、
滞在許可証更新の日。
2ヶ月前に書類審査(3時間待ち)を経て、
本日、無事(2時間待ち)、
今年のLa carte séjour 受け取りました。
待ち時間の間、
久々の読書を堪能。
海外にいて、
ひとつだけ不便なことは、
日本語の本が自由に手に入らないこと。
活字中毒の私には、
ようやく慣れてはきたものの、
やはり恋しい母国語書籍。
日本にいた頃は、
1日1冊ペースで、
文庫本を読みあさっていましたが、
海外に来たおかげで、
滅多にお目にかかれない
高いチョコレート(GODIVA)を、
毎日一粒づつ大切に食べるように、
ひとかけらもこぼさないように、
読み味わうようになりました。
さて、
そんな本日の極上の一冊は、
姜 尚中『在日』
在日韓国人二世である、
政治学者、姜 尚中さんによって書かれた、
姜 尚中さん自身、
そして、
彼の両親の世代、
歴史上名もなき人たちの史記。
彼に多大なる影響を与えた現代アメリカの思想家、
エドワード・サイードの言葉、
『知識人とは、何か。 ー常にアマチュアであること。』
を受け、
彼は、在日韓国人一世たちのことを、
次のように語る。
父や母は明らかに知識人ではなかったが、
この日本社会で生きていくうえでアマチュアであった。
父や母が「在日」になったとき、
彼らはアマチュアとして生きていかなければならなかった。
(中略)
日本人であるということは、
それだけで日本社会についてのエキスパートである。
(中略)
アマチュアとしての在日とは、
多数者の日本人、
言ってみれば「インサイダー」としての日本人の中にどっぷり浸からず、
どこかで「アウトサイダー」的な面を保ち続けていることを意味している。
「日本人であるということは、
それだけで日本社会についてのエキスパートである。」
ということは、
国籍を持つ、
すべての人たちは、
その国のエキスパートである。
その上で、
常に「アマチュア」として、
生きていくことは、
なんて難しいことだろう。
今まで、
さまざまな方向から、
いろいろ知ろうとしてきてはみたものの、
なかなか自分なりの解釈を得ることができなかった、
「在日」という存在。
最終章で、
こんがらがっていた多数のひもが、
するりといとも簡単にほどけた気がした。
ある講演会の後のことだった。
帰り際、まるで待ち伏せしていたように、
若い女学生が私につぶやいた。
「(中略)わたしは、朝鮮でも、韓国でも、日本でもどうでもいいんです。
ただ、お父さんとお母さんのことを隠すような生き方はしたくないんです。
だから、朝鮮人でいたいんです。(後略)」
彼女の言葉が、
「すべて」だと思った。
鼻の奥に、
ひんやり冷たい空気が忍び込んできて、
涙を誘発する感じ。
確実に、
過去に、
この感覚を経験している。
私が最も敬愛するスペイン人の女性劇作家、
アンジェリカ・リデル/Angélica Liddell(http://www.angelicaliddell.com/)の新作、
中国を題材にして書かれた『PING PANG QIU』
その作品の中で、
アンジェリカのこの作品に、
出演が決まっていた一人の中国人女優が、
出演を拒否したという実際の話が、
織り込まれている。
”tout ce que vous faites au théâtre, c’est vrai, je le sais.
mais je ne peux pas dire du mal de la Chine.”
(あなたたちがしていることは、すべて演劇。
わかっているけど、
それでも、中国のことを悪く言うことはできない。)
彼女にとって、中国のことを悪く言うことは、
自分の両親について、悪く言うことになってしまうから。
こんな当たり前のことを、
どうして、私たちは、
すんなり受け入れられないのだろう。
「あの人、本当優しいよね。」
「優しい人が、タイプ。」
「もっと、人に優しくしなさい。」
「優しい」という言葉、
よく使うけど、
本当の「優しさ」ってなんだろう?
「アマチュア」で、いつづけるということは、
おそらく、
個人レベルで、
人類の最小単位で、
人を想うことができることだと思う。
「在日」を想うのではなく、
姜 尚中さんを想うこと。
今日、
あのときの、
あの場所での、
この本との出会いは、
まさしく、
姜 尚中さんの座右の銘、
『すべてのわざには時がある』
であったと思う。
これは、
旧約聖書にある言葉で、
すべての物事には起こるべきタイミングがあるという意味のこと。
伝道の書 第3章
天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。
物事がうまくいかない時、
つい、
巻き戻って、
あの時、別の選択をしていたらどうなっていただろう、などと、
うじうじ考えてしまうけど、
「すべてのわざには時があって」、
とりあえず、
お前の選択は間違ってなかったよ、と、
「答え合わせ」さえ、
してくれれば、
今ある力の
30%増しくらいで、
走っていけそう。