新学期、地獄の一週間が終わりました。
そして、地獄の二週目が始まります。
話には聞いていたものの、
学校生活は、まさに、軍隊!
毎日、10時から20時までの授業に加え、
発音矯正のある私は、
+1時間、9時から10時の個人レッスン。
20時から、観劇や、プロのアーティストとの会合などが予定されており、
まさに、分刻みのスケジュール。
授業内容は、
2週間から、3週間ごとに、プログラムされていて、
最初の2週間は、
まさかの古典から、
アレクサンドラン集中講義。
使用テキストは、
モリエール「人間嫌い」とラシーヌ「アンドロマック」
萌え用語で、
過去に「絶対領域」という言葉が流行りましたが、
wikipediaによると、
「何人にも侵されざる聖なる領域」から、発生した言葉のようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/絶対領域
フランス人にとっての、
モリエールとラシーヌもまさに、
どんなに時が流れても、
「絶対領域」的劇作家。
外国人である私が、
役者として、
今後どんなに頑張っても入り込めない領域からのスタート。
つまり、日本で現代演劇やりたいフランス人が、
来日して、
歌舞伎から始める感じです。
俳句の五七五や、
短歌の五七五七七と一緒で、
ひたすら、文章から音楽を探していく。
音楽を生み出すための、
さまざまなお約束事を勉強していく。
フランス人にしかわからない、
フランス的「趣」の美学を、
私が、日本人の身体で感じられる訳もなく、
一度でも、
私、何してるんだろう?
何の意味があるんだろう?
と自問してしまったら、
もう進んでいけなくなってしまうような、
環境と境遇と空虚な目標の前で、
身体の疲れに感謝して、
何も考えずに、
前だけ見て、歩いてみています。
それは、
演劇というプロ・アマの違いが一番判断しにくい芸術において、
有無を言わせず、
「型」を学ばせる教育に、
おぼろげに明るいものを感じているから。
「壊す」ために、
「型」を学んでいる。
もしくは、
「型」を学んでいる過程に、
「壊す」勇気を、
形成していくのかも。
授業は、実技だけではなく、
17世紀の文学を読み解くところから、
さまざまな文献を持ち寄り、
全員で17世紀に産まれた言葉の「美」の理由と本質について、
分析していきます。
常に現在形で進んでいる演劇界で、
生き残ってきたものに対する敬意のようなものを
感じつつ、
それでも、
大半は、眠気と戦いながら、
頑張ってます。
それもこれも、
フランス人が読んでも、
最初からは訳の分からないような
高尚すぎるテキストに、
本気で取り組んでいるクラスメートを目の前にしたら、
心の中の、
「意味ないじゃん」意識は、
いつのまにかどこかに消えてしまう。
それにしても、
12人の少人数クラスは、
想像を絶する素晴らしさで、
想像を絶する落とし穴でした。
なにしろ、
休む暇なし。
ペアでシーンを取り組んでも、
次から次に、
自分の番が回ってくる。
先生も、
二分後には、全員の顔と名前を覚える。
その瞬間にもう、存在を消すことは不可能になる。
何はともあれ、
日本語を、
しゃべりたい、
しゃべりたい、
今日、
このごろ。