9月18日の東京新聞にて取り上げられた藤原紀香さんのブログが
話題になっているようです。
(以下、見出し引用)
女優の藤原紀香さん(42)が自身のブログで、特定秘密保護法案への懸念を表明した。俳優やアーティストが政府批判や社会・政治問題について発言するのは、欧米では当たり前なものの、日本では極めて異例。女優の政治的発言は日本のタブーを破るか。(佐藤圭)
数日前に観た、
カリスマ的ストリートアーティストBanksyの初監督作品、
イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ(Exit Thtough The Giftshop)が頭を過る。
http://www.uplink.co.jp/exitthrough/top/index2.php
バンクシーがとっているドキュメンタリーなのに、
彼も出演している。(もちろん覆面で)
主人公は、元古着屋のオーナー、ティエリー・グエッタ。
趣味でビデオカメラを回し続けていたことから、
訳あって、バンクシーと親しい仲に。
彼に、残念ながら映像の才能がないことを悟ったバンクシーは、
アーティストになることを進める。
そして、彼は、ミスター・ブレインウォッシュの名を名乗り、
中身のない、ただの盗作とも思えるような作品を創りながら、
話題性、メディア、消費社会、
すべてのキーワードを駆使したちまち成功していく。
もちろん、バンクシーの友達であることだって利用する。
まさに、ミスター・ブレインウォッシュ(洗脳)
公開後には、
ミスター・ブレインウォッシュは、
バンクシーが造り上げた虚像なのか、
それとも実在するのか、
話題になりました。
つまり、バンクシーの尊敬すべき点は、
アートが結果ではなく、
過程、もしくは、手段に過ぎないところ。
このように、芸術を捉える傾向のある現代アート界において、
アーティストとして、
のぼりつめていくということは、
イコール、
自身の発言力をあげていくことだと思います。
という訳で、
言いたかったことは、
芸能人が自らが築き上げてきた「発言力」を、
使わないでどうする!
ということ。
まして、
その「発言力」が外部から妨害を受けるなんてもってのほか。
バンクシーが、
ここまで「発言力」を持ったのも、
藤原紀香氏が「発言力」を持ったのも、
すべては、
私たち社会の目があってこそ存在し得るものだから。
バンクシーのドキュメンタリーは、
一見、ティエリー・グエッタを告発しているようだけど、
実は、彼の今までの作品がすべてそうであるように、
私たちへ、
本質を「見る力」への警告。
アーティストだけでなく、
大人になるということは、
「発言力」を高めていくということ。
「発言力」を高めていくのは、
まわりの自分より大きな「発言力」に、
踊らされないため。