日曜日の夜から、ENSAD最終選考のため、
憧れの南仏モンペリエへ。
パリの最終試験で知り合ったモンペリエ出身の生徒が、
親切にもおうちに泊めてくれました。
私が着いた頃には、既に私以外4人の受験生が到着していて、
彼の家は、すっかり「受験生の家」
すぐに打ち解けて、
今まで、受験苦労話に花を咲かせました。
月曜日、
街は、すっかりバカンス気分。
私たちは、9時集合。
そして、地獄の最終選考の幕開け。
最終選考は、2グループに分かれていて、
計40人。
この時点で、A、Bとレベル分けがされている。
私たちグループAは、男子8名、女子12名の計20人。
なんと、半数近くが、もう他の学校にも合格しているというレベルの高さ。
さらに、そこから、5人ずつ4つのグループに分けられ、
9時半から、19時半まで、4人の先生と休憩含み2時間ずつの授業。
授業と言っても、
内容はほぼ試験で、
次から次に、モノローグもしくは、ダイヤローグのテキストが渡され、
10分から15分で作品を創り、
先生の前で発表。
その場で、演出を受け、
その場で、対応していく。
今までに経験したことのない即効性適応能力を絞り出し、
脳が、ストップ寸前。
ここで、1日目終了かと思いきや、
ここからが、本当の試験。
1次試験では、
それぞれが連れてきたパートナーと、
各2シーンずつ発表しているのですが、
そのシーンを新たなパートナーと創りなおすというもの。
つまり、自分も誰かのパートナーを引き受け、
台詞を覚えるということ。
発表は、翌日の15時。
5人の審査員+10人の外部アーティストを迎えて行われる。
稽古は、深夜0時に及び、
帰宅後も台詞の暗記。
多い人は、一晩で3シーンの台詞を暗記し、
自分の2シーン、
さらに、自由課題が必須なので、
計6シーンをそれぞれのパートナーと稽古。
私に、言葉のハンデがあることは、だれの目にも明らかなので、
1シーンだけ、パートナーを務めることになりましたが、
それでも、全く手に負えず。
今までも、3,4分のシーンでも、完璧に覚えるのに毎日稽古しても、
2週間はかかっていました。
もはや、試験どころではなく、
いかに、相手の迷惑にならずパートナーを終えることができるか、
という責任の重さに、心も折れる寸前。
悪魔に取り付かれたような悲愴な顔で、
必死に台詞を覚えていると、
先生から、天使の一言。
「学校は、グループ。
どんなメンバーでも、グループでなんとかする。
だから、試験も同じ。
みんなが、みんなのことを考えて受ける。」
ひょっと顔を上げてみて、
「覚えられない!!!」
と、言ってみたら、
みんなが手伝ってくれて、
パートナーとの稽古でも、
私のアクセントまじりの演技に彼はとっても満足。
翌日の最終試験。
私は、6番目。
自由課題を含む、3シーンを何の緊張もなく、
思いっきりやりきって、
なんの後悔もなく終了。
そして、残るは、私のパートナーのシーン。
彼の順番は最後。
最後の最後まで、台詞の確認を続け、
最高潮のストレスの中、舞台へ。
稽古では、できたのに、
やっぱり中盤で、少しの空白ができてしまい、
発音もいまいち。
彼の3年間がかかっていると思うと、
もはや、後悔してもしきれなくて、
謝ってもどうしようもないし、
寝ていなかったせいもあって、
頭が真っ白になってしまいました。
今回も、私が最年長なのに、
一番おどおどしながら、彼のもとへ。
私の顔を見たとたん、
満面の笑みで、
「メルシー!!!」
と言われて、
思わず「ごめんね、ごめんね」と泣いてしまいました。
この2日間の試験を終えられたことは、
私にとって、
2年間の集大成でした。
2年前の私はもちろん、
1年前の私にも、
半年前の私にも、
1ヶ月前の私にも、
先週の私にも、
できなかったことだと思う。
もう、取り組んでいる最中は、
このまま終わらないんじゃないかと、
本気で心配して、頭がおかしくなりかけましたが、
終わってみれば、
なんのこともなくなってしまうもんだから、
不思議。
なんだか、昨日まで見えてた景色とちがう景色が、
見えているような気がして、
ヘアースタイルを大胆に変えたときのような気分。
100%無理だと思い込んでいたものが、
なんでもないことになった日は、
残念だけど、
また、100%無理なことが見つかってしまう日。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ー高村光太郎