先週のコンセルバトワールは、
1日7時間、一週間で35時間に及ぶ劇作集中ワークショップが行われました。
新学期に、年間スケジュールを発表されたときに、
この劇作ワークショップが課題に入っていることを知ったときには、
まさか、フランス語も満足にしゃべれないのに、
戯曲など書けないだろう、
と半ば絶望して、
いざとなったら、欠席してどこか旅行でも行ってしまおうと企んでいたのですが、
なんとまあ、
まさに、「めくるめく」、
ちょっと前まで、Facebookのフォールに氾濫していた、
咲き始めの桜のような5日間を過ごすことができました。
担当講師は、パリの高等コンセルバトワール(ESAD)の専任講師でもある、
女優、演出家、劇作家のSylvie Chenus
初日、予想外に、語学に問題のある私がクラスにいたことで、
先生は、多少とまどっている様子でしたが、
それとは、逆に、
先生の纏う慎ましい桃色の空気は、
私のコンプレックスのダムを一瞬で破壊して、
私はいつのまにかもくもく書き進めていきました。
俳優が書くこと。
それは、
テキストを「聞く」ことを学ぶこと。
行間、
読点、
句読点、
スペース、
感嘆符、
言葉、
そして、
そこに生じる、
音楽。
シュルレアリスムからはじめる、初めての劇作エクササイズ
1.一人の人から、「場所」を、もう一人の人から、一人の登場人物(A)をもらう。
さらに、自分で考えた登場人物(B)を設定し、その場所でAがBに向けたモノローグを書く。
2.3人グループで、紙を回しながら、ダイヤローグを書いていく。3枚の紙が同時進行で回っていく。
3.4人グループで、文章を書きながら、たまに誰かが単語を発する。グループのメンバーは、瞬時に、その単語を自分の文章に埋め込まなければならない。
これらは、まず、書くということの堅苦しさを一掃し、
自分の外にあるマテリアルに柔軟になることが目的。
「他者」を聞くこと。
ワークショップの間、
作者は、自分の文章を読むことは、一切できない。
自分の書いた文章が、
他の俳優により、
解釈され、
立体化される。
そして、自分のイメージと、
他者のイメージの間に生じる「誤差のプレゼント」が待ち遠しくて、
生徒全員、
ぞくぞくしながら、
一心不乱に書き続けました。
「よそ者」によって書かれた私のフランス語は、
みんなの討論の的になり、
言葉の間違えを、
直したり、
残したり、
「それは、わざとだ!」と言い張ったり…
私も、
外国人としてではなく、
ひよっこの、それでも、「作者」として、
自分のイメージを、
視覚化していく作業に夢中になりました。
そして、その数枚の紙が、
俳優によって、
イメージに戻っていく。
フランス語のエクリチュールを学ぶ上で避けては通れない3冊。
1.マルグリット・デュラス『エクリール―書くことの彼方へ 』
2.ロラン・バルト『テクストの快楽』
3.ベルナール=マリ・コルテス『Une part de ma vie』
言葉は、文化。
フランス語でしか描けない「絵」があって、
同様に、
日本語でしか描けない「絵」がある。
先生の色は、「桃色」
「ピンク」じゃなくて、「桃色」
一番苦しかったのは、
恥ずかしながら、
みんなの手書きの文字が解読できなかったこと。
未だに、フランス人の書く手書きの文字には、
手こずっていて、
一人では、確実に読めない。
「よそ者」にしか、発見できないフランス語の美しさがあったり、
「よそ者」だから、大胆に無視できる言葉への敬意だったり、
「よそ者」だけに、聞こえた、意味を超えた音楽があったり。
ロラン・バルト『テクストの快楽』から発見した言葉。
「しとやかな文章」
しとやかは、淑女の「淑」で、
淑やか。
つまり、レディーな文章。
きっと、それは、お洒落することを惜しまない文章だと思う。
TPOをしっかりわきまえて、
お洋服から、
お化粧から、
髪型から、
アクセサリーまで、
何度も試しながら選んだ、
本日のコーディネート。
一番嬉しかったのは、
最終日、
先生に、別れ際に、
「あなたのスタイルを、
文法の間違いとして、
直してしまうような人とだけには、
添削頼んじゃだめよ。」
と言われたこと。
アーティストして扱ってもらえたこと。
フランスに来てもうすぐ2年。
確実に、身に付いたのは、
“se débrouiller”(なんとかたってのける)の力。
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こんにちは。学んでいる事は違えども共感できる所も有り、オモシロく拝見しました。
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