恋人のために愛人は必要か?〜ハロルド・ピンター『恋人』〜

月曜日から久しぶりのコンセルバトワールの授業がスタート。
初回の授業はなんと10時から19時まで、8時間ほぼぶっ通し。
終盤は、いいかげんフランス語にうんざりで、
帰りは、他の生徒を避けて一人で帰宅。
午前中は、「見る・見られる」をベースとしたコンタクトの徹底したエクササイズ。
一切台詞は使わずに、3時間が過ぎました。
このことに関しては、また日を改めて言及したいと思います。
午後、先生からこれから2週間の間、扱うテキストが発表されました。
ハロルド・ピンター『恋人』
日本では、tptで岡本健一さん演出、岡本健一さん、中嶋朋子さん主演で公演されているようです。
http://www.tpt.co.jp/
ピンターは、2005年、ノーベル文学賞を受賞したイギリス人劇作家で、
1960年に上演された『管理人』を境にぐんぐんと人気を高めました。
フランスでは、この代表的な戯曲『管理人』と一緒の本に収録されているため、
自ずと余り目立っていないようですが、
これぞ、ピンターの戯曲を代表するような、
«Un théâtre de la menace» (A theater of the threat)
つまり、日常に潜む「不条理」「恐怖」そして、
とどまることなく変化し続ける、
対人間における「ヒエラルキー」
この独特なピンターの劇世界は、「Pinteresque」(ピンタレスク)と呼ばれています。
さて、まずは、戯曲を渡されて、
会議のように長机のまわりに集まって、読み合わせ。
そのあと、ピンターの経歴などを勉強し、
冒頭の2ページくらいのシーンを早速2人組で創作。
制限時間はなんと20分で、
ト書きやストーリー、登場人物同士の関係など、
まずは、一切排除して、
演出プランを考え、台詞を暗記して、
全員の前で発表。
今回は、読み合わせのときに使っていた長机を、そのまま美術として、
観客となる他の生徒たちも、
読み合わせのときと同じスタイルのまま、
観劇します。
ここで、この空間をどう使って、
一見、同じ目線にいる観客とどう関わるかがポイント。
各チーム、同じ台詞で全く違うシーンが出来上がりました。
物語は、一組の夫婦の日常。
リチャードとサラは円満。
ただ、彼らが少し普通と違うのはお互いに公認の愛人がいるということ。
朝、夫が出かけると、
サラの元に、愛人のマックスがやってきます。
そして、マックスが帰ると、夫リチャードが帰って来て、
サラと愛人の情事について、当たり前のように質問します。
さて、ここで面白くなってくるのが、
リチャードとマックスを、
戯曲の指定では、同じ役者が演じているということ。
ただ、これを解釈するのは、読み手次第。
そもそも、役者は、自分以外のさまざまな役を演じ分ける訳だから、
リチャードとマックスの一人二役を演じてもおかしくはない。
はたまた、リチャードが、マックスを演じ、
話の中に出てくる、リチャードの愛人の存在は、
実は、サラのもう1つの姿なのではないかとも、解釈できる。
私の解釈。
「愛人」という存在の永遠の「儚さ」は、矛盾であり、
究極の甘美だと思う。
「愛人」は「恋人」もしくは、それに準ずる公式な関係性の上にしか存在せず、
かつ、
「恋人」に勝ってしまったとき、「愛人」は消えてなくなってしまう。
つまり、行き場がない。
行き着いたとたんに消滅するのだから。
ただ、1つ、ハッピーエンドがあるとするなら、
「恋人」との関係性に「儚さ」を生じさせて、
2人の関係をマンネリ化させないための「愛人」の存在である。
つまり、「恋人」が「恋人」の「愛人」役もかって出るのである。
それにしても、
ピンターの戯曲の鋭さといったら、
観客にも、役者にも、演出家にも、
勝負を挑んできているようでならない。
試されている感じ。
我こそはと、思う方、
ぜひぜひ『恋人』を解読してください。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中