フランスで演劇を観ていて、
プロアマ問わず、
アーティストとして、
作品よりも重要視されるのが、
以下の質問に答えられるかどうか。
『なぜ、あなたは演劇をしてるのですか?』
アビニョン演劇祭の公式パンフレットの中にも、
自分の作品をアピールする前に、
まず、
演出家たちが、
「演劇は何をもたらすか?」
という、共通の問いに対する
それぞれの考えが論じてありました。
アーティストとして、
自分の仕事をしっかりプレゼンできない限り、
生き延びる道はないとつくづく感じます。
先日、サイモン・マクバーニー『巨匠とマルガリータ』を観劇したのですが、
完成度の高すぎるマクバーニーの作品が、
私は、やっぱり苦手。
劇団の名前通り、
役者間のコンプリシテ(共犯者、共犯意識)は、並大抵のものではないし、
全員の身体能力も相当高い、
ただでさえ難しいブルガーコフの小説も、
わかりやすく脚色されている。
そこに、観客の想像力を介する隙を与えない。
そのため、どうしても私は、
すこし遠くから見事なサーカスを観ている気分になってしまう。
でも、サイモン・マクバーニーは、
この質問に答えられる。
この質問に答え続けることができる限り、
どんな作品をつくろうと、
彼の周りに議論が巻き起こり、
芸術として機能する。
彼が、演劇を選ぶ理由。
演劇は、人生の中、人間の振る舞いの中、脳の機能の中に存在する。
しかし、また、
社会の中、政治の中、歴史の中に介在している。
その中で、
演劇は、「物語を語り続けなければいけない」
100人中、
100人が賞賛する作品がいい作品とは言えない。
100人中、
50人が素晴らしいと賞賛したとき、
残りの50人が躍起になって、
反論してくる作品は、
私が思う「いい作品」
そこには、必ず、
思想があるから。
やっぱり、公演後の一杯は大切。