フランスに来て1年が経ちました。

国立コンセルバトワールの受験準備が始まったとき、
ダイヤローグが課題のため、
パートナーがいないと受験が出来ないことがわかり、
誰に頼んでいいかわからず、
フランス語教室の帰り、
近所のしがない中華料理屋で、
従業員の目も気にせず、
豚肉のピリ辛炒めを食べながら、
母に電話して、
「友達いないよう…」
と言ってぐずぐず泣きました。
そのあと、
母親に弱音吐くより、
一か八か、
ちょっと恥ずかしいけど、
同級生に弱音吐こうと思い直し、
クラスでそれまであまりしゃべったことがなかったけど、
いつも見惚れてしまう3年生の女の子に、
「わたし、どうしよう…」
と、言いました。
彼女は、満面の笑みで、
「私も、受験、どうしよう…、ヤバい…」
と、言いました。
次の日、
2人で図書館に行って、
戯曲を読みまくって、
帰り道に、
「一緒にやらない?」
と、言われました。
その日から、
当たり前のように、
私が新しいテキストに取り組むたびに、
発音レッスンをしてくれて、
彼女のシーンに、私が演出をつけ、
彼女が演出する公演に出演を依頼されて、
私の一人芝居のあとは、1時間も感想をいってくれて、
私の受験課題のパートナーをしてくれて、
私も彼女の受験課題ほぼすべてのパートナーをして、
毎回一緒に地方遠征しました。
そんな彼女が、私が一番行きたかった学校に合格して、
3年間パリを離れます。
スクリーンショット(2012-07-03 16.34.58)
仲のいい友達は、変わっていく。
でも、同志は距離も時間も軽々超えて、つながっていられる。
そして、
やっぱり頻繁に日本にいる同志を想う。

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