究極一人芝居(演出家ワークショップ1日目)

演出家クラスの本当の恐怖を知った1日でした。
そもそも、演出家クラスといっても、
演出だけをやれる訳じゃないのがこのクラスの根源。
つまり、誰を演出するかというと、
役者である自分自身。
グループ創作であっても、
「自分」という役者を使って、
自分の演出プランを具現化していく。
まずは、各グループが現段階での作品を発表。
ちなみに、1日目からほぼ完成型のプロポジション(案)を全員の前で発表します。
本日のプログラム。
1、『弱い心』(Слабое сердце)
2、『おかしな人間の夢』(Сон смешного человека)
3、『おかしな人間の夢』(Сон смешного человека)
4、『鰐』
5、『地下室の手記』(Записки из подполья)
6、『白夜』(Белые ночи)
なぜか、みんな割とマイナーなドストエーフスキー作品を選択。
やっぱり、あまり手が付けられてない作品の方がやりがいがあるからかしら。
それにしても、
全員の授業態度はよくも悪くもハイパー正直。
客席も、毎回舞台上に設置されるので、
舞台、客席のしきりは一切なし。
常に観客の反応を全面に感じながら作品を発表します。
つまらなかったら、なんと、
床にねっころがってしまう人までいるのに、
先生も他の生徒もおかまいなし!
いつものことだけど、カルチャーショック。
終わってからのディスカッションでも、
「全く意味が分かりませんでした。」と、真剣に感想を述べている人がいて、
おもわずぞの率直さに笑ってしまいました。
ディスカッションでいつも話題になるのは、
1、観客とどうコネクションをとるか。
フランスの俳優は、観客に向かって語りかけるとき、
本当に自然に一人一人の目を見て話してくる。
これは、どうやら学校教育の影響が大きいようです。
フランスでは、小学校からスピーチの授業が大部分をしめていて、
試験でも必ず、筆記だけではなく、
クラス全員の前で行われるエクスポジションが常にあるそうです。
おおぜいの人に、自分の考えをいかに有効に伝えるか、
演劇界のみならず、フランス人全体が
幼いときから、そういう訓練を受けているのです。
そのせいか、
演出プランの中でも観客にダイレクトに語りかける演出が多い。
こういうときに、間違っても台詞として話してしまうと、
一切無効。
2、解釈にいかに「自分」というものを介入させるか。
小説の解釈なので、
身体や言葉の指定は一切ありません。
そこで、重要になってくるのが、
自分の個人的な考えをいかに、
作品に組み込んで、作品を作家と自分の中間に位置づけるか。
例えば、「仲良し」のポールとピエールが、
二人の役を演じるとき、
いかに、普段の「仲良し」の関係を利用できるか、ということ。
これは、ポールとピエールにしかできない個人的なことで、
作品には一切関係ない。
でも、その関係からしか生まれない解釈もあるのでは、という考え。
だから、わたしも、
この2点に関して、
隅から隅まで日本人の竹中香子であることを、
意識して作品を作る。
それにしても、究極の一人芝居だった。
原作:ドストエフスキー
脚色・美術・演出・出演:竹中香子
みたいな。
言い訳の余地、ゼロ。
本当にゼロ。
これほどの責任を負って、舞台に立つといのは、
あり得ないほど危うく、脆くて、壊れそうだったけど、
それを扱えるのは、やっぱり自分しかいないから、
扱ってみた。
苦しくなるほど、悦だった。
なぜ、こうもポジティブな感情とネガティブな感情って、
紙一重なのでしょう。
みんなからアドバイスをたくさんもらって、
再度練りなおし。
きっと、うまくいけば、
一人芝居じゃなく、
観客13人との14人芝居になる。

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