特別の終焉、そして中級の憂鬱

コンセルバトワールに入って、約3ヶ月。
なにせフランス語が話せない私は、
よくも悪くも、特別で例外でした。
ただのハンディーキャップとしか思っていなかったこの弱点に、
知らず知らずのうちに、
心底助けられていた様です…
クリスマス休暇があけ、
学校に戻ってみると、
突如として、
もう自分は、「特別扱い」してもらえないんだ、
と実感しました。
今までは、やりたくても仕方なくあきらめていたことも、
今では、ただの怠惰。
つまり、語学や、文化の違いも含め、
中級になってしまったようです。
仲のいい友達に、この現状を話してみたところ、
「今までは、言葉の壁というマスクをかぶってたけど、
それが、どんどんはがれてきて、
演劇本来の恐怖がでてきちゃったんじゃない?」
と言われました。
人が見ている前で、
自分の声と身体を使って、パフォーマンスすること。
演劇というシステムそのものが、
地獄のようなものだ。
目の前に人がいる限り、
満足させてやりたいもん。
100の失敗の可能性が、ひとつの成功の可能性の邪魔をしてくる。
確かに、私が、クラスで発表する場合、
どうしても、しょうがないよね、と許されてしまうところが多々ある。
それを、埋めるためにひたすら努力しているつもりだったけど、
実は、ちゃっかり利用して、
絶対安全区域から一歩も外に出ようとしてなかったのかしら、
と思います。
悪雲が立ちこめて来たとき、
何か行動を起こして、
ばっさり気持ちを切り替えて、
先に進む方法を、
考えるべきなのかもしれない。
でも、そうできないときは、
そんな悪雲の下で、
ピクニックとかしてみてもいいかもしれない。

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