私の「悲劇」と、ラシーヌの「悲劇」について

フランス国立コンセルバトワールのための試験申し込みが迫ってきました。
ぎりぎりで、なんとか昨日、完了。
http://www.cnsad.fr/site/page/cnsad
第一次の試験課題は、
全部で4つ。
しかも、そのうちのいくつかだけやるか、すべてやるかは、
当日の試験官によって決まるそうです。
1、アレクサンドランが用いられた戯曲。
2、指定リストから選択。(シェイクスピア、チェーホフ、モリエール、ベケット、ブレヒトなど)
3、現代戯曲。
4、自由課題。(歌でもダンスでも、演劇以外でも、なんでも可)
ここで、一番の問題になるのが、
もちろんアレクサンドラン(alexandrine)。
アレクサンドランとは、
一言で言えば、
フランス文学において、1行を12音節から成り立たせているもの。
ヴィクトル・ユーゴー(Victor Hugo)の詩などが、有名ですが、
戯曲にも用いられます。
真ん中(6音節目と7音節目の間)にカエスーラ(中間休止)を挿んで、
前半と後半の母音を合わせたりする高度なテクニックもあるそうです。
日本で言えば、短歌とか俳句とかのルールを用いて、
本一冊書いちゃう、みたいなところでしょうか。
でも、このリズム、
私たちにとって、「五・七・五」のリズムが心地よく、しっくりくるように、
長ゼリフにもなると、音楽のように聞こえてくるから不思議。
そこで、
フランスで、アレクサンドランを用いた劇作家と言ったら、
ジャン・ラシーヌ!
ということで、ラシーヌから、課題戯曲を探そうと、彼の悲劇を読み始めたのですが、
難解…。
一番面白そうだったのは、
やっぱり有名な「フェードル」。
アテネの女王が、自分の義理の息子に、
本気の恋をしてしまって、破滅して行くお話。
ちなみに、下の絵は、
アレクサンドル・カバネルというフランスの画家が描いた「フェードル」という作品。
この絵の方が作品のイメージが伝わるかと思います。
Alexandre_Cabanel_-_Phèdre
それにしても、一人一人の台詞が長くて、
とても、言葉で勝負できない私には、絶対不利。。
そこで、第2候補は、『ベレニス』
パレスティナの女王ベレニスと、ローマの皇帝ティチュスは、相思相愛。
オリエントのコマジェーヌの王は、皇帝ティチュスへの忠誠を誓いつつ、
実は、ベレニスが好き。
しかし、ティチュスはローマの因習のため、ベレニスと別れることを決める。
つまり、彼女より、権力を選ぶ。
そこで、彼はアンティオキュスに「仲立ち」を頼む。
アンティオキュスが、ベレニスにティチュスの想いを告げに行くと、
なんとベレニスは、
「あなた、私とつき合いたいから、そういうこと言うんでしょ?」と、
誤解されてしまう。
それにしても、ティチュスは人間臭い男で、
ベレニスが別れを受け入れたとたん、
「やっぱり、君のことが忘れられない!」とよりを戻そうとする。
つまり、今度はローマとベレニス、両方を手に入れようとするわけ。
逆にベレニスは、男前で、
一度決めたことは変えない主義。
ついでに、アンティオキスは、
どさくさにまぎれて二人の前で、自分もベレニスを好きだったことを告白。
鈍感ティチュスは、びっくり。
そして、三人とも、
さんざん台詞の中で、
「死にたい、死にたい」と言っていたのに、
生き続けるお話。
この、ベレニスがアンティオキスに、
いくら「あなたの彼氏が、あなたと別れたがってますよ」
といわれても、
耳を傾けもせずに、
「彼は私のこと愛してるもん!」
と言い張り、
しまいには、
「あなた、私のことが好きだから、そんなこと言って、
私たちの愛を破壊して、私とつき合いたいんでしょ?」
と言い切り、自信満々なシーンを選択。
アレクサンドランの面白いところは、
1行が12音に満たない、
短い台詞のやり取りの場合、
前の人の台詞から、数えて、
どうしても、12音を守り抜こうという気合い。
写真(2011-12-09 09.31) #2
鏡文字で、かなりわかりにくいですが、
戯曲もアレクサンドランがわかりやすいように、
前の行の終わったところから、
空白を開けて書かれている。
右側のページの真ん中とか、
特に、明確。
このテキストを試験でやろうと思います、と言って、
クラスで発表したら、
自分のフランス語の読めなさに、
情けなさを感じすぎて、
どんどん涙が出て来て、
でも、悲劇だから、まあいいか、と思いやり続けました笑
みんな、何が起こったの?という感じだったで、
ラシーヌの「悲劇」に感動したからではなく、
自分の「悲劇」に心動かされて泣きました、と言ったら笑ってくれて、
コーヒーをおごってもらいました。
やっぱり、私たちの「日常」は、
どんな気高い「フィクション」にも、
負けない色の濃さを持っていて、
そんな「日常」を知っている私たちが、
「フィクション」を扱うこと。
たぶん、この点が、
平面でしかない「文学」を、
「3D」にする最大の意味だと思う。
※ちなみに、アレクサンドランは、フランス人にとってもやっぱり難しいらしく、
来週から個別で「アレクサンドラン面談」が行われることになりました◎

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