先週観たダンスについて。
「いい」作品とは、
大きく分けて2種類のものがあると思う。
一つは、
その場に居合わせた人全員を満足させてしまうほど圧倒的なもの。
そして、もう一つは、
社会に認められなくても、
たった一人の人生を変えてしまう可能性を孕んでいるもの。
パリの秋のフェスティバルのプログラム作品、
レイモンド・ホーゲの『パ・ド・ドゥ』
男性二人のダンサーによる、2時間にわたるスペクタクル。
http://http://www.theatredelacite.com/#/spectacle/218675/raimund-hoghe
きっと、この作品は、後者だと思う。
なんと、共演者は、Takashi Uenoさんと日本人。
Raimund Hoghe氏は、1980年から1990年までの10年間、
ピナ・バウシュのウッパータール舞踊団にて、
ドラマツルギーをつとめていました。
以後、自らの作品を年に一回ペースで発表し続けています。
http://www.raimundhoghe.com/index.html
この写真でもわかるように、
彼は、背中に大きなこぶがあります。
この、自分の身体のと向き合うところが、
彼のダンスの出発点だったそうです。
タイトルの『パ・ド・ドゥ』とは、日本語で「2人のステップ」という意味。
バレエ作品において、通常、男女二人によって展開されるダンスのこと。
ちなみに、同性二人で、踊る場合は「デュエット」といい、区別されている様です。
今回は、もちろん、男性二人によるデュオ。
今作品のすべての出発点は、
前作で共演した、Takashi Uenoさんと出会ったことだそうです。
前作を観ていた友人が、
前作ではそんなに目立ってなかったけどなあ、と話していたけど、
作品が始まったら、
どうして、彼が選ばれたのか、
一瞬にしてわかりました。
全体を通して、ゆったりとした動き、日常的な動きが続き、
派手なテクニックを要するような「ダンス」は、
ほぼ見られませんが、
二人の間の信頼関係が、もうにじみ出て、溢れ出て、
私は、心地よくもぐったり疲れてしまいました。
例えば、冒頭、
Takashi Uenoさんが、舞台の後方に向かって、
ゆっくりゆっくり歩いて行くシーンがあるのですが、
この振付に対する、
疑念とか、不信とか、そういったものが一切ない。
そんなの当たり前だと思うかもしれませんが、
こんなに目に見えてしまうくらいの振付家に対する信頼、
そして、彼の身体のために作られた振り付け。
これらが、時間とともに、
どんどん空間を浄化していく。
浄化(カタルシス)というと、
アリストテレスは悲劇の効果のひとつとして言及したことで有名ですが、
フランスの詩学では、
これは、「おそれとあわれみ」によって、観客にもたらされる効果とされているそうです。
「おそれとあわれみ」、
これは、今回の作品に当てはまると思う。
なぜなら、決して「共有」ではないから。
舞台芸術作品の提示の方法として、
その場、その瞬間に立ち会ったと実感できるものと、
見ては行けないものを、覗いてしまったと実感してしまうものに、
分けれるとしたら、
絶対に、後者。
カタルシスを伴うほど、神聖なものは、
もはや、人に見せるために作られたのかどうかさえ、
疑ってしまう。
そして、このような、
決して万人受けするとは言えない作品を、
自信を持って、
毎年フェスティバルに呼んでいるフランスには、
やはり頭が下がる。
こういう作品のために、
「作品」と「観客」の橋渡しをする、
「プロデューサー」という仕事があるんだな、とつくづく思いました。