週に3時間必修の、身体訓練クラスは、
毎週ヨガの先生が来て、レッスンをします。
呼吸から始まって、日本のヨガのスクールでもよくやるような太陽礼拝や、
ストレッチが2時間ほど続き、
残りの1時間は俳優における、身体系のエクササイズ。
このエクササイズが、私は、死ぬほど苦手。。
オーディションの時も、ワークショップのような感じで、
4時間のレッスンをこの先生とやったのですが、
俗にいう、エネルギー発散系で、
私は、どうにも萎縮してしまいます。
例えば、みんなで円になって、
誰か、一人が円の中心に出て、声を発しながら自由に体を動かす、
とか、
しっかり自分として存在しながら、まっすぐ目の前にいる相手に向かって歩いて行く、
とか。
自分の身体がやりたくないって言っているときに、
割と今まで無視してきたけど、
ここで、流れにのって無理して中途半端にやると、
自分に対して、言葉に問題があるからしょうがない、
と言い訳してしまいそうだったので、
先生に、
私は、このエクササイズがすこし「暴力的な」感じがする、と伝えました。
そしたら、先生は、
日本の教育制度が違うから、
そう感じるのだと思う、と答えました。
日本人が、感情を表に出さないことや、
常に相手を尊重して生きていることに対して、
とても敬意を感じているけど、
役者としては、もっともっと自分として
しっかりと、「存在」するべきだ、と言われました。
確かに、外国人ということで、
文化の違いはあると思うけど、
私には、私の性格とか価値観があるし、
それは、周りのみんなとおなじだし、
私は、演劇に対して、
観客や、空間、共演者、音、光、すべてのものに、
「リアクション」することに魅力を感じていた、と伝えました。
話すのにすごく時間がかかってしまったけど、
みんなも先生も、
一生懸命理解しようと聞いてくれて、
結局、やりたくないときは見ていていいから、
すこしづつでいいから、やってみてごらん、
といわれて、
「学校」という存在のありがたみをとても感じました。
やはり、いくら「教室」とはいえ、
人前で、自分を「見せる」ことというのは、
とてもデリケートなことだと思うし、
クラスメートや先生との、
信頼関係の下でしか、
思い切れないことがあると思います。
授業中、
自分だけに長く時間を割いたりすることって、
今までは、とにかくみんなに対してとても申し訳ないことだ、
と思っていましたが、
納得してないのに、
なんとなく場の雰囲気で同じような行動をしたり、
みんなを真似て、エクササイズに参加したりすることの方が、
よっぽど迷惑だし、失礼なことだと、
自然に感じました。
他人のことを、
自分とは合わないな、と判断するのは簡単だけど、
心底、嫌いになるためには、
やっぱり、知ることが必要。
「教室」では、
それぐらいの勢いで人と向き合ってみてもいいかも、
と思っていたりする。