高嶺格さんの『とおくてよくみえない』の展覧会で流れていた時間が、
忘れられません。
友人が、youtubeの学芸員さんの解説動画を教えてくれて、
みてみました。
感覚的に、いいなあって素敵だなって思ってた作品の意図とか、過程を聞いて、
一瞬にして、眼前に作品をとらえている自分に戻ってしまいました。
「現代アート」という言葉を耳にするようになって、
数年経ちましたが、
私たち見る側は、なんだか怠慢な態度をとっているような気がしてしまいました。
第一印象で、作品を賞賛したり、説明できないけど触発されたり、
それが、「現代アート」の良さでもあると思います。
でも、やっぱり、水面まであがってこない水底に沈むたくさんの要素がたくさんあって、
生まれた作品で。
さっと観ただけでは、心に響かなかったけど、
解説を聞いたとたんに涙が出てきてしまった作品がありました。
どんだけ、自分のちっぽけな感性を信用してるんだよ!って、
恥ずかしくなりました。
教師をしている母が、
「富士山論文」が一番!という話をしていました。
1000枚に渡るような、膨大な内容を、
すっきりコンパクトにまとめられた論文のことをいうようです。
富士山みたいに、家々や他の山に隠されている麓はみせずに、
てっぺんの綺麗なとこだけを見せる。
でも、確実に、どっしりとした安心と信頼がある「美しい」論文。
これからの「現代アート」は、
もっともっとアーティスト重視の個展を開くべきだと思います。
カテゴライズしてひとくくりにするのではなく、
アーティストの思想に沿うような展示。
「わからない」だから「わかろうとする」、
そんな姿勢で2回目、
挑みたいと思います。