ライネル・マリア・リルケ(1875~1926)さんは、プラハ生まれのドイツの詩人です。
詩人?? 詩人ってなんでしょう?
Wikipwdiaより
詩人とは、詩を書き、それを発表する者。また、そのことを職業にしている者。
これは、納得いきません。
下の方にこんなことも書いてありました。
三好達治は『詩を読む人のために』の中で「誰かもいったように」と前書きした上で「詩を読み詩を愛する者は既に彼が詩人」であると書いている
これは、だんだん近づいてきたような気がします。
では、「詩」ってなんでしょう?
そしてそして、この時って、ウタとも読みますよね。
言語の表面的な意味(だけ)ではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式である。多くの地域で非常に古い起源を持つ。
「美学的」、この説明、気に入りました。
「喚起的」というキーワードはどうもピンと来なかったので、
こんな本を読んでみました。
まあ、難しくてよくわからなかったのですが、
「目玉焼き」は、メタファーだそうです。
たしかに、「目ん玉」が「焼かれている」とは、だれも思いませんよね。
メタファーは、類似性に基づく。より抽象的で分かりにくい対象を、より具体的で分かりやすい対象に《見立て》ること。
これって、とっても素敵なことだと思います。
要は、受け取る人によって、「勘違い」が発生するからです。
そもそも「分かりにくい」とか、「分かりやすい」という概念が、
人によって異なると思いますし、
それでも、直接的ではなく、あくまで《見立て》。
つまり、イメージの崩壊は、しないでくれてるんですね。
リルケの文章も一緒です。
タイトル通り、若い詩人に向けて、
丁寧に、身長に、そして、分かりやすく書かれているのに、
「イメージ(=詩的な存在)」は崇高なものとして、
その存在を犯さない。
リルケといえば、「愛」と「孤独」がテーマにした詩で有名ですが、
彼の文章を読んで、実感したのは、
決して、愛と孤独が、相対的な関係ではないこと。
どうやら、愛を知るために、孤独は必須みたいです。
だから、いま、孤独を感じてるなら、
ラッキーってことだと思います!
また、孤独を感じることは、
自分の周囲の世界が広がったことの証しであるから、
むしろ喜ぶべきだ!とも書かれていました。
それでは、最後に芸術家のみなさんに、2カ所、抜粋!
芸術作品は、必然の結果になるものならば、よいものです。芸術作品の出所がこういうものであるかないかを見るのが、芸術作品の判断で、それ以外の判断はありません。
一般的な主題を避けて、あなたご自身の日常生活が提供する主題をお取りなさい、ご自分の悲しみや望み、つかの間の考え、何らかの美に対する信仰を描きなさい――こういうすべてのことを、心からの静かな謙遜な誠実をこめて、描きなさい、そして、ご自分の心をいいあらわすためには、あなたの周囲の事物、あなたの夢の形姿、あなたの思い出の対象をお使いなさい。