どちらも一文字の公演を観てきました。
まずは、東京バレエ団、モーリスベジャール振付『M』
公開ゲネプロを見せて頂きました。
日本人の全身タイツはなかなか素敵だと思いました。
太ももの辺りが、細いから、脚がとても綺麗。
ジョージバランシンの後期の作品の衣装とかも、かなり好きです。
とにかく、全身タイツ好きの私には、今回の衣装は、たまりませんでした。
印象に残っているシーンは、このシーンの後。
紙吹雪が、舞っているときは、
照明にあたって、金色にかなり鮮やかに見えたのですが、
降り止んだ後、
舞台上は、淡いピンク色にそっと染まっていました。
全体をとおして、この作品は奇抜で、単一的な印象で、
映画のように、シーンが連なって移行していくというより、
スライドのように、イメージがつぎつぎに羅列されていくような感じで、
その表現形態が、合理的で西洋っぽいなあ、
でも、やってる内容は思いっきり日本だよなあ、
そのギャップがおもしろいなあ、とか思いながら観ていました。
でも、このシーンだけは、違う。
日本人をも超えるような、日本的な美学を感じました。
なにか大きなことが、おこった後の場所。
見事の紅葉を終え、くすんだ色の落ち葉でいっぱいの小道。
余韻。
華やかな舞台は、まるで一瞬のようだけど、
その後が美しい場合、時間の流れはのろのろ遅くなっていたりしていて。
このあと当分は、変わらないであろう事後の風景のなか、
ただただそこにぽつんひとりでいてみたり、
それ以前に、起きた出来事を想像してみたり。
こんな、おとしものみたい風景が、美しいなんて、
わたし、得しました!!!
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次の日は、笠井瑞丈さんの公演『対』
伝説の舞踏家笠井叡さんと笠井瑞丈さんの二人による親子の競演。
笠井瑞丈さんは、当パンで、
恨みを果たします、と書かれていましたが、
始まってびっくり。
いままで観た笠井叡さんの、
どん笠井叡さんより、そのままの笠井叡さんを観れてしまった気がしました。
ルーツというか、根源みたいなのが同じだから、
もちろん醸し出す空気感というのは、
どことなく似ていて、
だからこそ、身体の違いみたいなものがくっきりはっきり見えた気がしました。
大学の、授業でやった随意筋と不随意筋のはなしを思い出していました。
筋肉には、自分の意志によって動かすことができるので随意筋(骨格筋とか)と、
出来ない不随意筋(心臓とか、胃とか)があるそうです。
瑞丈さんは、身体全体として随意筋が多そう。
動きの終着点までも、コントロール出来る感じ。
一方、笠井叡さんは、動きがどこまでもどこまでも
続いていきそうでいかなそうで、
不随意筋だらけのように見えました。
このコントラストが、最高にクールでした。
あと、面白かったのは、L字型の客席が舞踏だったこと。
ふたり踊りに感化されて、
観客の顔が、体が、声が、
ゆがむ、うねる、もれる。
観客が、
面白い舞台は、それだけで成功な気がしてしまいます。