ロドリゴ・ガルシア『ヴァーサス』@にしすがも創造舎

$Takenaka Kyoko web
大人になるにしたがって、だんだんしってる言葉もふえていきます。
それは、もちろん、社会で生活してたら自然とそうなるのだけれど、
私には、社会に、調教されてる感じも、たまにします。
心の中が、もぞもぞしたり、ざわざわしたり、がしがしするのを、
言葉に、おきかえないと、つたわらないよ、って。
でも、『ヴァーサス』みたいな作品を目撃しちゃったりすると、果たして、
言葉にすることは、有効で、賢いことなのかな?という気がしました。
解釈とか、説明とかできないことがらを、
自分の知ってる範囲のボキャブラリーで、表現してしまうかとはとても危険なことだと感じました。
なんだか、それは、まだまだペーペーな私にとって、
とても損な気がします。
そんときの、衝動を、皮とかあえてむかないで、
そのまま、放置しといてもいいんじゃないかと。
皮を、むかなければ、腐っても多少、におうぐらいで、
におってきたときに、また思い出してもいっかなって。
当日パンフレットにすごく素敵なことが書いてあったので、
引用します。
ネットで全文みれます!http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/1373
演劇は、時代錯誤な芸術です。今の社会において、演劇なんてほとんど意味を持っていないとも言えるでしょう。その点から言えば、演劇をやるなんて馬鹿げたことなんです。演劇なんかではなく、インターネットで発信したり、映画を作ったほうが効率がいいでしょう。演劇は現代の芸術では無いと言ってもいいでしょう。でも、まったくもって前時代的だからこそ、演劇は強力な詩的パワーを放つんです。どんどん情報化され、大量消費が進む社会だからこそ、こんなに古ぼけた形式を保つ演劇はおもしろいんです。

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