沢木耕太郎『無名』とおばあちゃんが死んだ日

Takenaka Kyoko web
ノンフィクション作家として有名な、沢木耕太郎さん。
『無名』は自身の父親のことについて書かれた作品です。
『無名』っていう、タイトルがやけに重い感じがして手に取りました。
「無名」な自分の父親が、沢木さんの文章によって「有名」にかわる訳でもなく、
やっぱり「無名」なまま読み終わりました。
だからこそ、私は、去年死んだおばあちゃんのことを思い出してちょっと泣けました。
去年の5月、私の10日間にわたる公演がおわり、バラシまでしっかり終わったところで母からの連絡。
急いで、電車に乗って実家に向かいました。
最後ののりかえが終わったとき、母からおばあちゃんが亡くなったことを聞いて、
地元の駅に着いて、もう一回電話して病院に行く!って行ったら、
もうお家に向かってるから家で待ってなさいって言われました。
でも、どうにもこうにも駅から徒歩5分の道のりを歩きたくなくて、泣きながら父方のおばあちゃんに電話して、
おばあちゃんが死んだことを報告しました。
駅のバスロータリーで、父方のおばあちゃんはずっと電話越しに私の泣声を、
なぐさめるわけでもなく、ただただ聞いていました。
こうやって、誰にも、「無名」で、かけがえのない家族がいて、
そういうことを、思い出させてくれる本ってやっぱりすごいな、と思いました。
沢木さんの本は、ほかの作品にしても、どんなに自分の経験、調査を詳細に書いていても、
やっぱりプライベートな範囲を完全に超えていて、
小説として、パブリックなものとして成立していると思います。
いつもいつも、人間ってやっぱり愛おしいって、思わせてくれる作家さんだと思います。

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